半世紀以上も続く
イランの反米感情
米国とイランの緊張が高まっている。なぜいつも対立するのかという印象もあろうが、背景には半世紀以上にわたるお互いの憎しみがあり、簡単に和解などできるものではない。
イランの米国に対する憎しみの構図は、1950年代初めにまでさかのぼることができる。当時、イランのモサッデク首相は、石油国有化政策を打ち出して英米と対立しており、英国は原油を買い付けに来たタンカーの撃沈を表明していた。
イランと英米との対立が続く中、53年にモサッデク首相は皇帝派のクーデターで失脚してしまうが、その背後で動いたのが米CIA(中央情報局)だと言われている。クーデターによって石油国有化政策がとん挫する一方、実権を取り戻したパフレヴィー2世は米国の援助を受けながら近代化を推進することになる。
皇帝主導の急速な欧米化は、イスラム教シーア派の宗教指導者からの反発を生んだ。また同時にイラン国民の間では、背後でクーデターを工作し、モサッデク首相を失脚させ、石油国有化政策をとん挫させた米国に対する反感も高まることになった。
ちなみに、英国による封鎖をかいくぐって、自社保有の日章丸でイランから原油を買い付けたのが出光興産の出光佐三社長だ。この一件が、その後の日本とイランの友好的な関係をもたらした背景の1つとされている。