義母は物静かなのではなく、“家では話さないだけ”だったのだ。近所の茶飲み友だちの家に上がり込み、あることないこと、美乃梨さんの悪口を言いふらした。既に嫁いで家を出ていた義姉・義妹たちにも、意地悪で、気が利かない嫁だと言いつけた。

「あなた、いい加減にしなさいよ。許さないわよ」

 義母の友だち、義姉・義妹の3人姉妹からは、顔を合わせるたび意見されるのが常になり、美乃梨さんは周囲からすっかり「鬼嫁」のレッテルを貼られてしまった。

「ごめんな。でもお前はとってもかわいいし、優しいよ。それは俺が知っている。お袋と姉妹のことは許してやってほしい」

 泣きながら訴えると、憲治さんは平伏して謝った。そこまでされると、美乃梨さんも許さないわけにはいかない。

 やがて長男、次男、三男と、2歳ずつ年の違う子どもが生まれ、家事・育児に追われるまま、あっという間に十数年の歳月が過ぎた頃、憲治さんはくも膜下出血で倒れ、約1ヵ月の闘病の末、他界してしまった。

 義父はその数年前に亡くなっており、美乃梨さんは1人で、幼い息子たちと、自分を嫌っている義母の面倒を見ることになった。

「ご飯をもらえない」
悪口を言いふらされた

 憲治さんが付き合いで入っていた少額の生命保険は、全額を息子たちの教育資金にあてることにして、隣町のスーパーで働き始めた。遺族年金と児童手当だけでは、とても生活していけない。

 運転免許を取得し、中古の軽自動車で毎朝8時半には家を出て、戻りは18時過ぎ。それから食事の支度をして、子どもの勉強を見てやり、片付けものをして就寝は0時過ぎ。起床は5時半。それが日曜日以外は延々と続く。

 日曜日だって、のんびりはしていられない。子どもたちの学校のPTA活動に集落の行事、親戚づきあい、法要にも参加しなくてはならない。

 美乃梨さんはクタクタになりながらもがんばった。