関電の発表は世間の目を
本質から逸らせている

 世間が食いつくようなショッキングな話や、ワイドショーのコメンテーターが「感想」を述べやすいベタな問題を、「エサ」として投げて世間の目を本質から逸らせる。いわゆる、「論点ズラし」である。

 実はこれ、企業や役所のクライシス対応において、非常によく使われるオーソドックスなテクニックのひとつである。今後、何かのお役に立つかもしれないのでぜひ覚えていただきたい。ケースによって若干の違いはあるが、トップの引責を回避する際に使われる「論点ズラし」というのは基本的には以下のような三段論法になる。

(1)ルールを逸脱した「個人」のせいで組織は被害をこうむった
(2)とはいえ、この「個人」の暴走を止められなかった組織風土にも問題がある
(3)風土の話なので、トップが責任を取るような話ではない

 要するに、トップの首が吹っ飛びそうなところを、「個人」のスキャンダルや不正にフォーカスが当たるように、「おもしろネタ」を提供することでそっちの印象を強くして、結局のところは企業体質とか、ホニャララ主義みたいなふわっとした話に着地させる、というダメージコントロールをしているわけだ。今回の関電の「報告書」はその典型的なパターンに見えてしまう。

「伝聞」まで盛り込んでいることからもわかるように、この報告書には、とにかく関電が長年、森山氏から「被害」を受けてきたということに多くを割いている。先ほどの(1)である。

 しかし、こればかりだと「被害者面しやがって」という批判が当然くるので、森山氏の暴走を食い止められなかった背景に、森山氏と事を構えるのを恐れて、前任者と同じ対応を続けていくという「前例踏襲主義の企業風土」(報告書19ページ)があるとした。(2)である。

「風土」というのは、リスク時にはわりと便利なワードで、「思い」「姿勢」という日本人が好きな精神論みたいな方向へ持っていくことができる。不祥事企業からすれば、こうなればシメたものだ。今回の問題が起きたのは、会社にいる一人ひとりの「心」に問題があるわけだから、経営者が悪いわけじゃないですよね、と逃げることができるからだ。

 実際、調査委員長も所感では、「深刻な問題とまでは認め難い」として、以下のようにシメている。

「結局、本件の本質は、個人の問題ではなく事なかれ主義というべき会社の体質の問題にほかならず、この改善と対策が集眉であることが明記されるべきである」