「和敬塾」という珍しい男子学生寮がある。1955年、産業用冷凍機の国内シェアトップを走る前川製作所の創業者・前川喜作氏が都内を一望できる目白台の細川邸7000坪の土地を手に入れ、建設した。卒塾生は5000人を超え、現在も大学や出身地、国籍、宗教の異なるさまざまな学生が暮らしている。6月に出版され話題となっている『秘録・自民党政務調査会』(講談社)の著者、自民党政務調査会のヌシと呼ばれる田村重信氏も和敬塾出身。16人の総理に仕え、さまざまな歴史的舞台に立ち会ってきた。彼が数奇な半生をたどるきっかけとなった和敬塾での夢と恋の思い出を語ってもらった。(清談社 村田孔明)

田中角栄に憧れ
政治家を志す

田村重信氏田村重信(たむら・しげのぶ) 1953年新潟県生まれ。和敬塾西寮。現在は、日本国際問題研究所客員研究員、拓殖大学桂太郎塾名誉フェロー、自由民主党政務調査会(嘱託)などを務める

「政治はすごい、街を明るくできるんだ」

 新潟県出身の田村重信氏は、雪に悩まされる地元に暗いイメージを抱いていた。そんな故郷が田中角栄の登場によって一変し、街が活気づく姿を目の当たりにした田村氏は、いつしか政治家を志すようになった。

 1971(昭和46)年に拓殖大学政経学部に入学し、東京都練馬区にある大学の恒心寮に入る。和敬塾には大学3年の春から友人の紹介で移り住んだ。

「恒心寮は1部屋が6人。それが和敬は3年生からは1人部屋です。上下関係が厳しいっていっても、恒心寮に比べれば楽なものでした」

 田村氏は率先して寮内のサークルや行事に参加し、すぐに和敬塾でも多くの友人に恵まれた。

「早朝野球サークルに入り、キャッチャーをしました。キャッチャーなら二日酔いでもできるから(笑)。そこで生涯の親友になる石坂修一くんに出会う。彼は早稲田大学の政治経済学部で、学生のときから国会議員の秘書をしていた。今は石川県議会議員をしています」

 大学に関係なく交流が深まっていく和敬塾の生活に感化され、田村氏は政治に関心のある早稲田、慶応の学生を拓殖大学に招いて、共同発表会を行うことを企画する。

 石坂氏に「とびっきり優秀な早大生を紹介してくれ」とお願いし、石坂氏はゼミの先輩を紹介するために、田村氏を行政学で有名な片岡寛光ゼミに誘う。

「ゼミには頭一つ飛び抜けて優秀な先輩がいました。姜尚中さんです。その頃は永野鉄男と名乗っていました。姜さんは頭だけでなく顔も良く、名高達男に似たいい男だった。拓大で発表してほしいと頼むと二つ返事で引き受けてくれましたよ」

 片岡氏も威勢のいい田村氏を一目で気に入り、田村氏も早稲田の片岡ゼミに通うようになった。

 後に政治学者として活躍する姜氏とは、テレビ朝日の討論番組『朝まで生テレビ』で30年ぶりに再会を果たす。テーマは改憲。2人の立場はまったく違っていた。

「国の根幹に関わる議題ですから、激しい言い合いにもなります。でも姜さんはお世話になった先輩です。反論しながらも胸の中は複雑でしたね(笑)」