東京で正倉院の宝物が見れる稀有な機会!展覧会担当者が見どころを一挙解説正倉院正倉 奈良時代・8世紀 (写真/東京国立博物館、以下同)

毎年秋、奈良国立博物館でのみ観覧可能な正倉院の宝物(ほうもつ)。しかし今年は天皇陛下の御即位を記念して、東京国立博物館でも展覧会「正倉院の世界展」が開催されている。1260年も前のものは、通常なら地中から発掘される。しかし、正倉院の宝物はきちんと倉に納められ、良好な保存状態を保って今日まで伝えられている。非常に希少な宝物の数々なのである。(東京国立博物館特別展室長 猪熊兼樹)

奈良でしか見られなかった
宝物の数々が東京に

 毎年、古都奈良に秋が訪れる頃、奈良国立博物館では正倉院展が始まる。天皇の勅封によって1260年にわたって厳重に守られてきた正倉院の扉が開き、その宝物が公開される季節である。正倉院展は、正倉院の宝物を観覧することのできる年に一度の機会であり、約9000件もある宝物のうち、今年はいったいどの宝物が出てくるのであろうかと、毎年、この展覧会を楽しみにしている人は多い。

 ところで今年の秋は、天皇陛下の御即位という慶事のため、その正倉院の宝物を東京でも観覧できることとなった。現在、東京国立博物館で開催されている「正倉院の世界展」である。この機会にあらためて正倉院宝物について紹介しておこうと思う。

 正倉院は、もとは東大寺の倉であった。奈良時代には、官庁や寺院には正倉という倉がいくつかあり、それらの正倉が建ち並ぶ区域を正倉院といった。それが、やがて東大寺以外の正倉院が衰退し、また東大寺の正倉院でも巨大な正倉がひとつだけ残ってしまったことから、ついに正倉院といえば、東大寺の正倉の固有名詞のようになったのである。

 正倉院は高さ14メートル、幅33メートルの巨大な横長の建物であり、内壁によって3つの倉に分けられ、それぞれの倉に扉がある(写真上)。正倉は東に面しており、向かって右から北倉、中倉、南倉という。両端の北倉と南倉は三角の木材を組んで壁を作った校倉造(あぜくらづくり)、中倉は板壁の板倉造(いたくらづくり)となっている。

 かつては、この校倉が湿気に反応して、膨らんだり縮んだりして外気を適当に入れたり遮断したり調節することで、中の宝物を守ってきたと説かれたこともあったが、現在ではこのような校倉の機能は否定されている。正倉の中で、宝物は櫃に納められており、この櫃の中が安定した湿度であったために、宝物は良好な状態で保存されてきたのだと考えられる。なお現在では、昭和に建てられた鉄筋コンクリートの宝庫に宝物は移されており、正倉の中に宝物はない。

 正倉院の宝物は、聖武天皇(701~756年)の崩御後、光明皇后(701~760年)が御遺愛品を東大寺に献納されたものが核となっており、それらは北倉に納められていた。その他、東大寺関係の品々は中倉と南倉に納められていた。正倉院は東大寺の倉ではあったが、北倉は天皇の命によって開閉される勅封になっており、中倉と南倉は東大寺の管理で開閉されていた。やがて中倉も勅封となり、明治維新の後には、国が正倉院を管理することとなり、南倉も勅封となった。