こんなにチャンスの大きな国はない

世界を知って、日本をみれば<br />「こんなにチャンスに満ちあふれた国はない」と気づくはずだ。<br />【出井伸之×ジョン・キム】(後編)

キム ひとつの極の中で埋もれてしまう人生を送ると、絶対に乗り越えられない壁が出てくると僕は思うんです。出井さんは海外に行かれていたことで、自分を相対化して、極がひとつではないことに気づかれた。対極の存在を、高いところから眺められたんだと思うんです。二つの極が見えたときに初めて、人間はその二つの極を乗り越えるための経路を考え始めます。でも、ひとつの極の中でずっと生きていたら、それはできない。

 例えば、コミュニケーションの相手が目の前にいるのに、相手を理解する努力すらしない人がいますよね。相手について、必ずしも納得する必要はないと思うんです。仮に、理不尽なことを言っていてもいい。でも、それをまず理解しようとしなければ、コミュニケーションは成立しないし、始まらない。お互いに理解しようとする中で、もしかしたら両者の間で妥協点が見えてくるかもしれないわけです。

 すぐには理解できない相手や、すぐには理解できない理不尽な話が出てくるのは、実は生きていれば当たり前のことです。それが当たり前の現実だし、自分にとって理不尽な話は、実は相手にとっては利益だったりする。ところが、閉じた世界にいると、こういうことが見えなくなる。閉じているというのは、実は自分が見えていない、自分が理解できない、ということでもあるんだと思うんです。相手を理解しようとすることが、実は自分を理解することだということに気づけない。

出井 おっしゃる通りですね。だから今、日本が閉塞しているというのは、日本人としての視点がないからだと僕は思うわけです。世界を知って、日本を見れば、こんなにチャンスに満ちあふれた国はないんですよ。日本を知っている外国人は、みんなそう思っていますよ。

 ところが、日本は「ダメだ」というと、全員が「ダメだ」になる。「すごいぞ」となったら、全員が「すごいぞ」となる。極がいつも一方ですよね。でも、世界を見て、日本人としての視点をちゃんと持てば、こんなにチャンスがあってどうしよう、ということになると思います。「ダメだ」と言っている人間を疑ってかかったほうがいいんです。

キム その意味でも、僕は読書には注意しないといけない点もあると思っているんです。ある人がある結論にたどり着いて、それを言葉にしているものが本だと思うんですね。それは、ある意味でもう完成物です。読者はそれを読んで、それを自分のものにする。ところが、自分で作ってもいないのに、完成物を見て自分が作ってしまったような気になれてしまう。それは、すごいもったいないことだし、危険なことだと思うんです。

 特に自己啓発書の場合、人生にものすごく大きな影響を与える可能性がある。だから、より具体的に「こういうことをしなさい」と提示をするのは、決してその人のためにはならないと僕は思っています。

 一番大切な学びがあるのは、ある抽象的なところから、自分にとっての正解にたどり着いて、その次に、これを日常でどう生かしていくか、を自分で考えることです。『媚びない人生』を読んでも、すぐにできることは、実はかなり限られます。自分が内容に同意した場合も、それを具体的な自分の日常でどう落とし込むか、といった作業は、自分でしないといけない。でも、そうでなければ、自分で責任は取れないと思うんです。

 日常の判断における、主体性には踏み込まない。手前の抽象で終わらせるのが、今回の僕の役目だと思いました。『媚びない人生』では、そう自分で考えたところがあって、ある程度、抽象的なところで止めています。