「普通」とはいっても、全員にとっての「普通」は存在しない。同じように暮らしていても人によって常識は少しずつ異なっていたりする。そしてふとしたきっかけで、それが露呈することがある。(取材・文/フリーライター 鎌田和歌)
誰かにとっての「普通」は
誰かにとっての「普通じゃない」
グローバル化という言葉を見かけぬ日はないほど、毎日のように国際化が叫ばれる昨今。価値観は昔と比べものにならないほど多様化している。
誰かにとっての「普通」は、誰かにとっての「普通じゃない」。だからこそ、ちょっと嫌なことがあったとしても、「価値観の違い」と呪文のように唱えてスルーするスキルも必要になってきた。
20年ほど前、当時10代で大ブレイクした女性歌手が、歌番組で年長の男性司会者に対して敬語ではなくタメ口で話したことがあった。「敬語を使わないなんて」という顰蹙(ひんしゅく)の声もあったが、一方で「彼女はアメリカナイズされているから年上にも敬語を使わないのだ」なんて声もあった。
最近でもまったく同様に、年長の司会者に対して敬語を使わない若手アーティストがいたが、彼らには帰国子女といった経験はなかった。もちろん批判的な声もあったが、「そういう価値観の若者なのだろう」と受け入れた人も多かったようだ。