今回は50年前、1970年の「週刊ダイヤモンド」の新年号を引っ張り出してみた。雑誌の冒頭に「社説」欄があり、「'70年代の世界は日本のバイタリティがリードする」とのタイトルが付いている。60年代の高度成長を経て、70年代はさらに明るい時代が来るという、夢に溢れた論調である。
終戦から四半世紀が過ぎ、完全に日本経済は復興を遂げていた。そして、その繁栄は紛れもなく「平和」がもたらしてくれたという事実を、社説子は強調している。
「わが国がこのような素晴らしい成長過程を取り得たのは、世界に類を見ない平和憲法の下に、勤勉な国民がじゅうぶんに英知を発揮して、それぞれの仕事に営々といそしむことができたからにほかならない」とある。それをもって、「日本はまさに世界の平和と繁栄のチャンピオンというべきであろう」と表現するのである。
昨今の日本では、自国が平和であればそれでよいとする“一国平和主義”として、わが平和憲法に対するシニシズム(冷笑主義)が生じている。高度成長を謳歌している70年代の論調を目の当たりにすると、そうしたシニカルな見方は多分に、閉塞した経済環境故に湧き出てくるものなのだろうと想像させる。
さらに時の流れを実感させる表現としては、「70年代の世界をリードする国は、若いバイタリティに富む日本をおいて他にない」という記述である。若さとバイタリティこそが、当時の日本の強みだったというわけだ。
そこから日本は確実に50歳、年を取った。超高齢化社会に入った日本がかつての若さを取り戻すのはもはや至難だ。しかし、あらゆる社会活動の大前提となる内外の平和と安定を、われわれは絶えず希求していかなければならない。(ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)
日本は世界の平和と
繁栄のチャンピオン
世界はいま1970年代への新しいページを開いた。
東西両陣営、南北両半球のいずれを問わず、全ての人々は、それぞれに輝かしい希望と大きな期待を抱いて、この新しい世代を迎えたことであろう。
しかし、今日なお一部に血なまぐさい戦火が消えず、悲劇が日々繰り返されていることは、誠に遺憾に堪えない。われわれは、世の多くの平和を愛する人々の祈りが、できるだけ早くかなえられて、世界に再び完全な平和がよみがえってくる日を、一日千秋の思いで請い願わざるを得ない。
平和がいかに尊くありがたいものであるかは、戦後二十余年、平和の下に世界に誇る繁栄への道をたどってきた、われわれ日本人が最もよく知っているところであるかもしれない。
わが国は、いまやいわゆる“黄金の60年代”に続いて、70年代にはさらに豊かな夢を繰り広げようと胸を膨らませている。
過去に何回となく、高度成長と国際収支の赤字の矛盾に泣いたことも、いまでは昔話としてしか考えられないほど、高度成長と国際収支の大幅黒字が同時に達成され、恒常的黒字国としての名を世界にほしいままにしているのである。
事実、国民総生産では自由世界で第2位に達し、生産規模で世界1~2位の産業は枚挙するにいとまないほどである。
外貨準備高、貿易規模は、いまでこそ4~5位にとどまっているが、共に首位に立つ日は決して遠くはない。
わが国がこのような素晴らしい成長過程を取り得たのは、世界に類を見ない平和憲法の下に、勤勉な国民がじゅうぶんに英知を発揮して、それぞれの仕事に営々といそしむことができたからにほかならない。
しかも、70年代後半から80年代にかけて、世界経済の実権が、大部分日本の手中にあるという見方も聞かれるとすれば、日本はまさに世界の平和と繁栄のチャンピオンというべきであろう。