世の中を変えたい──。そんな情熱や使命感を抱いて活躍する若きリーダーたちは、どんな原体験に支えられ、どう育ってきたのか。今回は、小中学校時代に3年半の不登校を経て、「テクノロジーを用いて、人の孤独を解消する」ことを使命とし、遠隔操作型ロボットの開発などを行うオリィ研究所の吉藤オリィ(本名・健太朗)さんです。(聞き手/ダイヤモンド編集部論説委員 深澤 献)

3年半に及ぶ不登校で
味わった不安と孤独

吉藤オリィ
Photo by Masato Kato 拡大画像表示

──オリィという名前は折り紙好きからきたニックネームだそうですが、折り紙はいつ頃から?

 3歳くらい、保育園の頃には夢中になって折ってましたね。みんなで一緒に何かをするのが苦手なタイプだったので、ずっと部屋の隅で折り紙だけしていました。

 小学校に入ってからも、勉強も運動もできないし、うまく人と話すことができない私が、唯一誇れるものが折り紙や工作でした。

 小学校って、当時はやっていた「バトル鉛筆」さえ持ち込み禁止でエンタメに飢えた場だったので、私が紙コップや段ボールなどでゲームやおもちゃを作り出すと、クラスの人気者になれました。

──折り紙の得意な人って、頭の中に設計図ができていて、その設計図通りに折っていくとかいいますが、そんな感じなんですか。

 そういう人たちのおかげで、折り紙好きなら頭いいんでしょと言われますけど、私の場合はとにかく折ってみて、失敗作は排除し、うまくいったものだけを残していく感じです。昔からものを考えるのが得意じゃないので、何事もとにかくやってみて、失敗したら修正すればいいというやり方です。

──小学校から中学校にかけて3年半、不登校だったそうですね。

 はい。きっかけは小学5年生のとき、入院などで2週間学校を休んだことでした。休みの間に、楽しみにしていたクラスのお楽しみ会に出られなかったんです。工作が得意な私にとって、お楽しみ会はスポーツ少年にとっての運動会みたいなもんですよ。他にも大好きだった祖父が亡くなるなど、幾つかショックが重なって、学校を休むことが増えました。

──元々、学校は好きでしたか。

 いいえ。小学校から制服があったのですが、それがマジで嫌いでした。あと、そもそも健太朗という名前が好きじゃないんです。「健康で太っていて朗らか」って、全部違うでしょ。その名札を、制服の胸に常に着けてなきゃいけないというのも嫌でした。

 なにより、授業中にじっと席に座っていなければならないのがダメで、小1のときから精神的にしんどくなると教室から逃げ出していました。視力が悪いから一番前の席に座らされて、副担任がいつでも手をつかめるように横にいるんですが、それでも窓から飛び出して、大人には入れない下水管とかに逃げ込んだりしてました。