2019年11月に刊行された『共感資本社会を生きる』が若い世代を中心に、じわじわと反響を呼んでいる。著者の新井和宏氏(株式会社eumo代表取締役)と、高橋博之氏(株式会社ポケットマルシェCEO)は、今の世の中で生きづらさを抱える人々の根底にあるのは、「選択肢」がないことだと指摘する。経済合理性を追求する社会のかげで、規格外の烙印を押されて置き去りにされてきたものは、少なくない。新井氏と高橋氏は、「お金」と「食」というそれぞれ違うフィールドから、「共感資本」でつながる社会に変えていこうとしている。私たちは大切なものを本当に大切にできているだろうか? 刊行を記念して行われた2人の対談で、今の日本に必要な処方箋が浮き彫りになってくる。(構成:高崎美智子)

人間は”工業製品”ではない

新井和宏氏(以下新井):僕たちが掲げている「共感資本社会」とは何かというと、行き過ぎた資本主義をどう変えていくか?ということです。資本主義そのものが抜本的に変わるのかは正直、わかりません。ただ、少なくとも、大切にしたいものを大切にできていない今の社会システムを見つめ直す時期にきていると感じます。

「共感資本社会」とは、共感という貨幣換算できない価値を大切にはぐくみ、それを基礎として活動していける社会のことです。僕は「共感」を価値の軸に置いて、大切なものを大切にできる社会を作りたい。「共感」は曖昧な言葉なので、人によって認識は違いますが、それぞれの価値基準に合った多様なものを選択できる社会を作っていくことが大事です。

 京都大学の総長で、ゴリラの研究で有名な山極壽一(やまぎわ・じゅいち)先生は、こうおっしゃっています。

「スマホやインターネットを通じて、多様な人々が交流する現代では、誰を信頼していいのか、どんな情報を信用していいのか、多くの不安がつきまとっています。バーチャルな世界でのつながりはかえって人々を孤独にし、人間を均一な情報に変えていきます。人間は工業製品ではありません。個人は誰も変わることができない自律的な存在で、だからこそ、多様な人々がつながりあうことによって新しい世界が開けるのです。いま一度、人類の歴史を振り返って家族と共同体の重要性を再認識し、再確認し、共感力を用いた信頼できる仲間づくりを心がけるべきであろう」

 山極先生はゴリラやチンパンジーを研究するなかで、人間は何が違うのかを3つのキーワードで表現しています。それは、「自律」「共同体」「共感」です。テクノロジーが進化し、組織や個人のありかたも、組織のための「個」だった時代から、「個」のための組織という自律分散的な流れに変わりつつあります。もはや組織は個人を縛ることができない。自律分散社会は、多様性の象徴です。しかし、なかには身勝手な「個」も出てきます。だから、自分を律することができる「自律」と、みんなとつながる「共同体感覚」を持つことが重要で、その根底となるのが「共感」する力です

高橋博之氏(以下高橋):僕も山極先生が大好きです。山極先生は、日本を代表する哲学者の西田幾多郎氏の思想の流れを汲む方です。たとえば、西洋では「Aを取ると、Bはいらない」という分断の考え方ですが、山極先生は「AとBのなかに『間』がある」のだと。つまり、関わりの力ですね。生きることも関わりのなかにあるということ。僕たちはその延長線上で「共感資本」というものを社会のなかに実装するために動いているんじゃないかと思います。

新井:「人間は工業製品ではありません」という言葉、農業や林業、漁業もそうですよね。自然界にあるものはそれぞれ違うのに、工業製品のように同じ型にはめようとする。その典型が、資本主義のなかの効率至上主義だと思います。画一化された規格で生産性や流通スピードを高めて、売り上げや利益を増やし、経済合理性を追い求める。はたしてそれでいいのか?

高橋資本主義の仕組みに、食べものほど合わないものはないと思います。僕ら人間もそうですが、自然はひとつひとつ違うわけですからね。食べものは収穫した直後から腐っていくので、この仕組みに乗せること自体に無理があります。アプローチを変えていかないと厳しい。

新井:すべてを単一の規格に押し込もうとすると、息苦しくなりますよね。日本の場合、学校教育では「偏差値」、会社は「売り上げや利益」、国家は「GDP」、個人ならば「年収」というひとつの評価軸で競争を促してきました。経済成長のためにそれが必要だった時代もありますが、今はむしろ、このシステムの副作用のほうが大きくなっているんじゃないか? 規格外のものはすべて排除し、切り捨てる社会に生きづらさを感じている人もいます。「共創」すなわち、ともにつくることに対する多様なメジャーメント(量り方)は何もない。これからは「競争」ではなく、「共創」のための方法論を考えていく時代にきています。