まだ幼い娘から「パパとの入浴」を嫌がられた。どうやらその理由は、風呂の温度の問題らしい。さらには妻からも「前から設定温度が高いと思っていた」と指摘。突如として「もしかしてオレの風呂温度、高過ぎ?」問題に直面した筆者は……。(取材・文/フリーライター 武藤弘樹)
ガス抜きのささやかな時間にまで及ぶ
迫りくる魔の手
中年男性たる生き物はその生態から、世間との隔絶を宿命づけられた悲哀多き存在である。当連載では、これまでに度々その様をいくつかの観点から掘り下げてきた。脳の暴走による浮いたテンションとダジャレの連発、若い世代へのおそれと対抗心と憧れ、娘からのヘイト……これらは中年男性が生きていく上で避けることのできない苦難の数々、その一部である。
こうした境遇に置かれては日々、中々気が休まらないのが道理というものである。嫌われないために、周りとうまく融和するために、ひいては生きていくために、己の立ち回りについて常に神経を張っている必要がある。
ストレスは人間が生きていくために必要なものらしいが、ストレスばかりになっても立ち行かない。そこでどこかでガス抜きが求められる。