『正直しんどい」と思うとき、どうしてますか?
「正直しんどい」と思うとき、どうしてますか?(写真はイメージです) Photo:PIXTA

昭和の男たちの息抜きといえば「飲む・打つ・買う」と言われたもの。しかしときは平成を経て令和に。ストレスとの向き合い方も、アップデートされている……はずではないだろうか。おじさんたちは、どのように「しんどい」気持ちに向き合っているのだろう。(取材・文/フリーライター 武藤弘樹)

誰にも訪れる“正直しんどい”
幾多の修羅場を乗り越えてきたアラフォー

 心身の疲労甚だしく、生存本能が休息を要求していることを察するが、しかし明朝も変わらず無慈悲にアラームが鳴り出勤を促す。自分のために働いているのか働くために働いているのかわからなくなり、ふいに浮かんできた「いっそ今日、自分がどこかへいなくなってしまったら面白いかもしれない…」という暗い妄想が愉快に感じられてかすかな慰めとなるくらい、追い詰められきっている“正直しんどい”時は、きっと多くの人が経験してきている。

 アラフォーくらいまで人生経験を積むと、むしろこれらのしんどい時を幾多も乗り越えてきたからこその今があるわけで、その自負がちょっと面倒くさい方向で発現すると「若者に人生訓を説教したがるおじさん」となったりするわけである。

 終わった“正直しんどい”経験は自信につながるが、迎えている最中の“正直しんどい”は、「これを乗り越えれば幸せに近づけるんだ…」と確信できていたとしても、正直しんどい。仕事や人間関係でストレスや悩みが尽きるということはおそらくなく、じゃあそれが嫌だからと世捨て人になって山にこもれば、世俗と縁が切れた解放感こそあれ、今度は毎年訪れる冬の厳しさに“正直しんどい”を思うようになるであろう。どう生きようとも人生は“正直しんどい”の連続であり、これとどう向き合い、あがいて生きるかに人間の美しさがあるのではあるまいか。週末、駅の片隅で吐しゃ物にまみれて酔いつぶれている人も、見方を変えればひょっとしたら美しいのではあるまいか。