スポーツジムに通ってみようか。そう考えたことのある人はかなり多いと思う。ダイエット目的だけではない。スポーツをしたいと思ってもいい場所がなく、仲間も見つかりにくいとき、ジムはとても便利な場所である。

 つらいトレーニングをしても、汗をかく気持よさは味わえるのだ。

 美人はジムで際立つ。気持よく汗を流している姿が美しい。自分を鍛えている姿というのは美しいものである。

 身体を鍛えるということは、自分に対しての敬意の表れだと思う。ナルシストのような自己愛ではなく、自分を好きでいるという基本動作である。

 美人は他人を受け入れることがうまい。他人に敬意を払い、いいところを見つける。好きな人が多く、そして自分も好かれる。その根本にあるのが自分をきちんと好きでいられるということなのだ。自分嫌いの人は、他人に対して敬意を払うことが苦手になっていく。

 自分をより好きになるために、自分を磨く。それが「美人のもと」を生み出す。そして、他人も好きになり、自分も好かれる。ジムは自分を見つめる絶好の場所である。身体を動かして、自分の調子を知る。どこを鍛えるべきか、どう鍛えるべきかを知る機会となるのだ。自然とその意識を持てる人はやはりジムで輝いていく。

 一方、熱心に通っても「美人のもと」が減っていく人がいる。自分を磨くはずの場で自分を見つめることを忘れている人だ。そういう人の共通点がある。それはジムでずっとキョロキョロしている人だ。他人をジロジロ見る。上から下まで見る。そして次の人も上から下まで。自分を見つめる前に他人にばかり目が行く。自分との比較をしたいのだろうか。

 動作一つ一つの後にキョロキョロする。そしてキョロキョロさんはトレーナーたちに集まる。取り巻きのように集まる。ファンクラブのようだ。トレーナーと会話しながら、自慢気にまたキョロキョロ。それをうらやましいと思う人間はあまりいないのだが。自分を見ることを忘れ、トレーナーとの同一化を図ろうとする。違うのに。

 他人との比較ではなく、自分自身である。相対的ではなく絶対的に磨くことを意識したい。一点を見つめて鍛える時こそ「美人のもと」が増える瞬間だろう。