厚労省の取り組みに見える
「水際作戦はしない」という姿勢

 3月13日には、学校の休校に伴って不要になった子どもの給食費は、その生活保護世帯が使ってよいという取り扱いが示されている。通常の生活保護での生活費に加えて、子どもが家にいることによる出費に対し、実質的な現金給付が行われたこととなる。

 また3月31日には、小学校の休校に伴って減収となった生活保護世帯が支援金を受け取ってよいこと、また個人で委託を受けて就労している場合の支援金(日額4100円)は、就労収入と同等とみなすことが示されている。

 生活保護基準を超える収入は、原則として収入認定(召し上げ)の対象となる。しかし就労収入の場合は、必要経費を控除した上で若干は手元に残り、「働いたら損」ということにはならない。今回の支援金は就労によって得られる収入ではないが、就労していれば得られたはずの収入を補う趣旨から、同様の運用が行われるわけだ。

 さらに4月7日の事務連絡では、新型コロナの感染拡大を受け、生活保護を申請しに来た人々に対しては「生活保護の要否判定に直接必要な情報のみ聴取する」ということが、「もしや水際作戦?」と疑われるような対応をしてはならないということとともに示されている。申請相談では、数時間にわたって経歴の詳細な聞き取りが行われる場合があり、本人の生きる意欲を大きく傷つけてしまうこともある。

 また、生活保護の可否の判断に際しては、「働けるのに働いていない人」であるかどうかに関する判断を「留保することができる」という。通勤・営業に必要な自動車については、「保有を認めるよう取り扱うこと」とされている。また、減収によって生活保護を必要とした場合、他業種・他職種への転職を指導することとされてきたが、それも「行わなくて差し支えない」とされている。

 生活保護政策のこれまでを見てきた私は、これらの事務連絡を読みながら、何回も我が眼を疑った。2013年以後の生活保護制度は、必要とする人を生きづらくする方向で改正が重ねられてきた。また、必要であっても申請しづらい世間の雰囲気が強められてきた。その流れが、一変している。