明日何を着るべきか、今日何を着るべきか、誰でも毎日のように考える。自分なりに工夫して、いい着こなしをしたいと思う。

 そして、それがうまい人、へたな人がいて、誰でも上手くなりたいと思うし、それなりに研究する。

 うまい人の共通点はいくつかあるのだが、感心するのはアクセントの付け方だ。

 少し目立つ色であったり、目を引く素材であったりするものはアクセントになる。そのアクセントを少し入れる技がうまいなと思うのだ。目立つものはアクセントにとどめておく感覚だ。

 たとえば、オレンジ。オレンジは強い色だ。遠くからでも目立つ。全身オレンジにしてしまうと強すぎて、目立つが、見てはいけないような気になる。みかんちゃんだ。特別な日や特別な場なら別だろうが、普通に会社に通う日などには厳しい。しかし、グレーなどの大人しい色の中に少しだけ存在しているとすごくきれいに見える。

 アクセントがアクセントとして機能すると「美人のもと」は増えていくように思う。

 ところが、アクセントの領域を超えると「美人のもと」を減らしていく材料になるのではないだろうか。

 わかりやすいのはヒョウ柄である。ヒョウ柄は色も強く、柄としても目立つものだ。身につけるものとしては、異質感が強い。そのおかげで、身につけている人がヒョウになってしまう。単独で行動しているヒョウのように、存在感はあるが、何物とも仲良くしてなるものかという孤立感すら感じる。油断するとすぐにアクセントの領域を超えてしまう危険な柄だと思う。

 もちろん、上手にアクセントとして使っている人もいる。しかし、その面積が大きく、ヒョウ柄に圧倒されている人がいる。「美人のもと」が減っているように見える人に多い。その人自身が街のアクセントになってしまっている。やりすぎなのだ。

 アクセントの領域を知る。それは人によって違うし、その日に着ているものによっても違う。もちろんアクセントが不要な着方もあるだろう。目立つものを身につけたい時、アクセント意識で全身をながめてみたい。