「割れた窓(broken-windows)」理論に基づく治安維持活動では、割れた窓を修理するように、混乱の小さな兆候にも対処していくことが、公共秩序の維持に寄与するとされている。リベラル派は過去10年ほど、どことなく人種差別的だとしてこうした政策を軽蔑してきた。ところが最近は、米国の左派勢力がある種の「割れた窓」政策を実行していることに気付かされる。それは、暴徒に十分な数の窓を割らせ、十分な数の店舗で略奪させるというもので、そうすれば彼らの正当な怒りが充足されると考えているのかもしれない。2日朝、6月の太陽が昇る中で目にした光景は、まさにそうしたものだった。ニューヨーク、フィラデルフィア、セントルイス、マディソンなどの米諸都市では、割れたガラス、荒らされた店先、燃やされた車両、破壊された建物が視界を埋めた。黒人のジョージ・フロイドさんが死亡した事件の記憶を言い訳に使って、暴徒らが市街地で暴れ回るのを役人たちは放任した。1週間近く暴力行為が続いた後でさえ、これらの都市や他の民主党リベラル派系の諸都市は、過激な無法者たちがやりたい放題に迷惑行為や略奪を行うのを容認した。