エジプトのカイロ大学は、周辺諸国からも優秀な学生が集まることで知られる名門大学だが、入学できたとしても学生たちは講義で使われる言語に苦しめられるという。エジプトでは「口語」と「文語」が明確に分かれており、日常生活では口語が使われる。一方の文語は、アラブのインテリ層の共通語ではあるものの、4世紀頃から続く古語で、難解だという。カイロ大では教科書はもちろん、講義もこの文語で行われる。小池はこのような環境にいきなり飛び込み、留年せず4年で卒業した初めての日本人となり、しかも「首席」だったというのだ。そんなことが現実にあり得るだろうか。

 著者はある幸運から、小池とカイロで同居していた日本人女性と接触することに成功する。彼女は衝撃的な事実を知る人物だった。カイロ大学を卒業したという小池の経歴は嘘だというのだ。女性のもとには、小池との生活の様子が綴られた手帳やメモ、手紙などが残されていた。当時の小池は無名の存在である。だからこの女性に小池の足を引っ張るためにわざわざ虚偽の内容を記す動機などあるわけがない。当時のメモや手紙は信用できる「物証」である。

 小池の留学生活の実態や、カイロ大卒の経歴を利用していかに成り上がっていったかについては、ぜひ本書をお読みいただきたい。これらの事実から浮かび上ってくるのは、私たちがまったく知らなかった小池の実像だ。おそらく善良な人ほど「騙された」と憤慨するのかもしれない。だが私はあまり怒る気になれない。なぜなら、「厚顔無恥」「自分本位」「息をするように嘘をつく」のは、多くの政治家に共通する資質だからだ。残念ながら学級委員のような正義感だけでは、したたかな政治家に歯が立たない。

選挙の公約ですら
方便に過ぎない

 前回の都知事選で、小池が対抗馬の鳥越俊太郎を「病み上がりの人」と評したのをおぼえているだろうか。「癌サバイバー」を貶める明らかな失言だ。この後のテレビ討論会でのやり取りを著者は印象深く記している。失言をめぐり小池に激しく食ってかかる鳥越に対し、小池はしれっとこう言い放ったのだ。「いいえ、言っていませんねえ」

 耳を疑う返答に鳥越のほうが取り乱してしまう。鳥越には気の毒だが、役者が違うとしか言いようがない。政治家としての業の深さ、悪党ぶりでは、鳥越は小池の足元にも及ばなかった。