6月18日は「海外移住の日」である。今から1世紀以上前の1908年6月、日本人781人を乗せた「笠戸丸」がブラジルのサントス港に到着。海外移民時代の幕開けを告げた。以降、日本からの海外移住者は増え、やがてアジアやオセアニアなどにも広がる。商用などで自ら渡航する人も少なくなかった。そうした中、タイに渡り日本料理店を構えた一人の料理人がいる。現地軍に徴用され、アカデミー賞映画「戦場にかける橋」でも知られる泰緬鉄道建設にも従事したという故・森園博康さん。現存する中ではタイでおそらく最古の日本料理店を、子、孫たちが3代にわたり、今も大切に守り続けている。(在バンコクジャーナリスト 小堀晋一)
兄の頼みで
鹿児島からバンコクへ
森園さんは鹿児島県阿久根市の出身。1931年の満州事変後、中国東北部に満州国が建国されると、多くの日本人が職を求めて渡航したように新天地を目指した。純和食の料理人。仕事場でひいきにしてくれる客も付いたが、ちょうどそのころ、商用でバンコクにいた実兄から連絡があった。
「タイで日本料理店を出店してくれる料理人を探している。お前がやってくれないか」
迷いはあったが、仲の良かったほかならぬ兄からの頼み。間もなく決断し、新妻を説得すると、民間商用船に乗ってはるか南洋を目指した。北回帰線よりも南に位置する未知の熱帯地方。どんな苦難が待ち受けているのか。手にするのは片道切符。18歳の青年は永年移住を覚悟した。