池田純,ブロンコス,ベイスターズ
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コロナショックの過程で進んでいった「さいたまブロンコス」の組織改革。現在B3で低迷してるブロンコスを6年で経営もチームも再生させると池田純氏は言う。その復活のプランと、アフターコロナを生き抜くビジネス戦略とは。

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「バスケのジャイアンツ」と呼ばれていた名門

 私が再建に取り組むことになったさいたまブロンコスですが、その歴史は1982年に始まります。前身はマツダオート東京のバスケットボール部で、廃部となったのちの97年に実業団リーグ、98年には社会人の日本リーグに復帰しました。02、03年度には日本リーグで2連覇を達成しています。Bリーグの前身でもあるbjリーグがスタートしたのは05年ですが、その初年度から参加した「オリジナル6」の一つが埼玉ブロンコス、現在のさいたまブロンコスです。歴史の面からも、bjリーグ前の実績面からも、名門といっていいチームなのです。

 しかし、近年はB3でも目立った活躍はできていませんでした。チームは低迷し、経営難で債務超過が重なり、リーグからはプロライセンス剥奪の可能性まで示唆されていました。事情を知る人たちから「ブロンコスには手を出さない方がいい」と言われたことは前回も書きました。「バスケを盛り上げたいなら、新しいチームを立ち上げた方がいい」とアドバイスしてくれた人も多数いました。

 しかし、今はどんなに落ちぶれていようとも、埼玉の人たちが応援し、埼玉の地に育てられたチームを見捨てることは得策ではないと私は思いました。ブロンコスは、かつては地元で「バスケのジャイアンツ」と呼ばれていたチームです。そのチームを地域の人たちとともに再生させることことこそが、自分がやるべきことである、と。自分にしかできないことである、と。なぜなら、まさにその方法によって私は横浜DeNAベイスターズの再生に成功したからです。