黒川事件だけではない
検察人事に影響与える政治の動き
新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言中に、賭け麻雀の発覚で辞職に追い込まれた黒川弘務・東京高検検事長。黒川氏とメディアの記者たちとの癒着を暴いた『週刊文春』のスクープは、見事でした。元週刊文春編集長の私としては、後輩たちを誇りに思います。しかし黒川氏がいなくなっても、今後も「事件」は続くでしょう。
実際、検察人事に「政治」が影響力を持とうという動きは、過去に何度もありました。
「ミスター検察」といえば、故・吉永祐介検事総長です。ロッキード事件での田中角栄逮捕、リクルート事件の捜査指揮、佐川急便事件での金丸信逮捕と輝かしい「経歴」を持つ吉永氏にさえ、彼を検察トップにすることに反対する勢力が大勢いました。
リクルート事件の捜査が終結し、大量の逮捕者を出した自民党政権は、今回の黒川検事長とそっくりの事件を起こしました。標的は「エース」の吉永祐介。リ事件のあとの1991年3月、東京地検検事正だった彼は、広島高検の検事長に着任しました。この人事は、大阪高検検事長で検事人生が終わるということを意味し、特捜検察の象徴である吉永氏を検事総長にしないという思惑が絡んだ人事です。
そして、鬼のいぬ間になんとやら、「事件もみ消し」が多発しました。特に自民党の金丸信副総裁が5億円もの政治資金を佐川急便から入手していたにもかかわらず、微罪である政治資金規正法でしか立件できないことになり、国民の怒りが爆発しました。「検察庁」と大きな文字が刻まれた大理石に怒った市民が黄色いペンキをかけるなど、検察批判は強まるばかり。
当時は宮沢内閣。後藤田正晴氏が「吉永くんはどこにいるのだ」と発言したことが話題になり、作家・山崎豊子さんや立花隆さんも立ち上がり、文春で「吉永を中央に」という論陣を張りました。
こうして1993年、世論が吉永検事総長を実現させ、金丸信逮捕など再び強い検察が復活します。しかしそれでも、政治家は諦めません。