*〈前編 1〉はこちら
人件費などコストが高い日本は、中国をはじめとする低賃金の新興国に勝てない。
これについては、すでに説明したリカードの比較生産費説、つまり生産の比較優位論を動態的に解釈することで説明できる部分が大きいと考えます。
この30年間、日中等の貿易財における現場の賃金や生産性は、相対的にも絶対的にも大きく動いたからです。簡単に言うなら、1990年代には20対1くらいであった日中の国際賃金差も、2005年頃から始まった5年で2倍ペースの中国の賃金高騰で急速に縮小し、いまは3対1から5対1ぐらいに縮小しています。
他方、日本の多くの貿易財の生産現場では、2000年以降、トヨタ生産方式導入などによる物的生産性の大幅向上が始まった結果、2010年代には、「製品1個当たりの単位コストで日本製品は中国製品に絶対勝てない」という、国内現場にとって絶望的な状況は、徐々に解消されていったのです。
2010年代の末になっても、まだ「日本製造業全体が中国などの低賃金国には勝てない」と言い続ける製造業悲観論は、またしても現場観察も統計分析も経済理論(比較優位説)も理解せず、一時の円高など短期動向に目を奪われて長期動向を見落とし、十数年前の固定観念から脱却できない誤謬と言わざるをえません。日中の国際産業競争において、潮目はすでに変わっているのです。
長期趨勢を見誤らないためには、まず長期の歴史観を持つ必要があります。中国は冷戦終結後の1990年代初頭に市場経済の導入と世界市場への参入を宣言し、以後「世界の工場」として、圧倒的な低賃金と労働者の大量動員力で、製造分野におけるグローバルコスト競争をリードしてきました。
すでに見たように、1990年代初期には、工場における新人の平均月給が中国では約1万円、日本では約20万円、つまり日本の貿易財の生産現場は、実に20倍のハンディキャップを背負って、突然出現した中国の現場と戦わざるをえませんでした。
しかし2005年頃から、中国では5年で2倍というペースで賃金が高騰したことにより、それも過去の話となりつつあります。また、そうした国際間賃金差の縮小に加えて、中国への生産拠点進出によって日中の現場の賃金と生産性の差をより正確に把握するようになった日本の優良工場の多くが、2000年頃から、トヨタ生産方式の導入などにより、大幅な物的生産性の向上を本格化させます。5年で5倍とか、2年で3倍とか、10年で8倍、あるいは半年で2倍以上といった、すさまじい生産性向上の数字を多くの国内現場で実際に確認してきました。
「どうせ日本はコストでは勝てない」と言い続けている人たちには、こうした、すでに20年前には始まっていた優良国内現場の新しい現実が、まったく見えていなかったようです。「日本の製造業は弱い」という固定観念に囚われた結果でしょう。
これらの長期趨勢の積み重ねの結果、2010年代に入ると、日本の現場の物的生産性向上と中国の賃金高騰が相まって、日本国内に、生産性だけでなく製造コストでも中国に負けない工場がだんだん増えていったのです。もともと日本の優良工場は、コスト以外の品質、生産性、生産期間、柔軟性などの競争力指標では、海外の工場を軒並み上回る優等生でしたが、言わば「9勝1敗」の1敗であったコストでも、勝てる国内工場が出てきたわけです。
とはいえ、まさに比較優位説が示すように、すべての国内現場が勝てるわけではありません。国際貿易は、為替レートの調整などにより、輸出と輸入が8勝7敗か7勝8敗に落ち着きます。戦後の日本は1980年代から長い間勝ち越しが続きましたが、それでも8勝7敗くらい。その後、一時期負けが込みましたが、いまはほぼトントンです。そして貿易はそれでよいのです。どんなに頑張っても全勝はない。しかし全敗もない。「日本の製造業は何をしてもコストで負ける」という言説は、こうした経済原則を理解していなかったわけです。
いずれにせよ、日本の貿易財産業は、冷戦終結から紆余曲折の30余年を経て、ようやく日中間の国際賃金差が、貿易理論で説明できるゾーンに落ち着いてきて、多くの国内現場がみずからの生存空間を確保できるようになりました。後は勝ったり負けたりですが、全敗はありません。最近では、海外工場は維持・拡大しつつも、同時に日本でも工場を新増設する傾向が強まってきています。潮目は完全に変わったのです。
以上をまとめてみましょう。たしかに新興国やICT産業が牽引し、大きく成長した過去30年の世界経済の中で、GDPがほぼ500兆円で停滞していた日本は、マクロ経済的には落第生でした。製造業も100兆円前後で横ばいであったわけですから、勝ったというにはほど遠いでしょう。
しかし、東西貿易分断の冷戦時代に極端に蓄積された国際賃金差、つまりすでに述べた「20倍の賃金ハンデ」を背負って悪戦苦闘した日本の貿易財産業が、冷戦終結後、平成の30年間、結果としてその規模を何とか維持したことは、ある意味ですごい成果です。たしかに勝てなかったし、局地戦では大負けもしましたが、全体が負けたわけではなかった。これが、経済統計や経済理論や現場の現実を素直に見れば自然と理解できる、日本製造業の「平成30年戦争」の総括といえるでしょう。