マラソンの札幌移転についても、「日本側には突然もたらされた通告だ」という印象が強い。だからこそ、「IOCは強引だ」などの批判が大勢を占め、東京や陸連は「被害者」のように思われている。また都知事も陸連もそのように振る舞っている。だが、取材をしてみると、決して突然ではなく、札幌移転を強く求められる予兆はなかったわけではない。それを日本側は積極的に公表しないため、「突然」のイメージだけが定着した可能性もある。

 これまでも、理事たちの大胆な発言が世間を騒がせた後、何が起こったか。それを思えば、森会長発言やその他理事の発言などは、中止に向けた観測気球もしくは布石かもしれない。

 私がこの原稿で、目くじらを立てて「1年後も中止すべきだ」などと強く主張しないのは、そんなことは誰より日本政府、東京都、組織委員会、さらには広告代理店が百も承知に決まっているからだ。

 持続化給付金事業に関連して、電通とパソナに多額の利益がもたらされたという。この面々は、まさに東京五輪開催の舞台裏に関わる企業と同じだ。

 オリンピックの開催費用は3兆円にも膨れ上がったといわれるが、コロナ関連の事業支出は特別定額給付金だけでも事業予算12兆8802億余円だから、これを大きく上回っている。オリンピック・ビジネスの損失分は、すでに十分補填されたとの指摘もある。こうしたやりくりが完了すれば、無理にリスクを冒してオリンピックを実施したくないのは政府や東京都も同じではないだろうか。

開催か中止かを首相や政治家が決める傲慢を許さない

 最後にひとつ、単純明快な指摘を加えたい。

「実施か中止か、その選択と決定権を首相や政治家が握っている状況は健全とはいえない」

 ということだ。

 そもそもオリンピックは都市がホストだから、本来は東京都知事が中心的な役割を担う。

 小池百合子東京都知事は、政府と組織委員会が簡素化を検討しているとの報道が出た6月初旬、記者団の取材に対して、

「開催には都民、国民の皆様の共感とご理解が必要。そのためにも合理化すべきところ、簡素化すべきところを進めていく」

 と明言した。それはまったく歓迎すべきところだが、都知事選で圧勝して以後、そのような動きは一切見られない。

 中止にしろ、開催にしろ、都民、国民は、メディアの世論調査の対象になる程度で、実質的に発言し、議論に参加する場をまったく与えられていない。

 通常のオリンピック開催と違い、これだけのコロナ禍を共有したいまの状況では、「それでも東京オリンピックを開催すべきか」「開催するなら、何のために?」「開催するにはどんな前提が必要か」「改めて、スポーツの意義は何だろう?」、そういった国民的議論こそがとても重要だ。

 もちろん、すでに代表に選ばれている選手たち、スポーツの当事者たちの考えを存分に聞く機会も必要だ。彼らもまた、そうした経験を通して学び、考えを深める機会になれば有意義だ。

 中止か実施か、その決断に、都民、国民、スポーツ選手たちが一切参加できず、ただ発表を待つだけの状況は異常だ。アスリートもスポーツ界も不在で、政治的、経済的判断だけで決められるのでなく、都民、国民こぞって、東京オリンピックの開催を議論し、併せてスポーツの意義について活発な意見を交わし合い、スポーツ観を共有できたらいいと願ってやまない。

(作家・スポーツライター 小林信也)

【お詫びと訂正】
記事初出時に、5p目4段落「特別定額給付金事業に関連して、」とありましたが、「持続化給付金事業に関連して、」の誤りでした。お詫びするとともに、訂正させていただきます。(2020年7月29日18:13 ダイヤモンド編集部)