ところが現実には、さまざまな特殊条件も出てくる。

 エンジニアが寿命10年のつもりで設計しても、民法には寿命が規定されていない。だからユーザーが商品を使っている限り、たとえ25年使い続けて壊れたとしてもメーカーの責任になる。

 日々、新聞を賑わす原発の審査やリコール問題を見ればわかるように、法的正当性や社会的道義を志向する文系的な発想と、あくまでシンプルに求められる解答を割り出すエンジニアの理系的な発想は、よくすれ違う。

 もちろん文系的な思考はとても大事なのだが、かといって理系的にシンプルに考えないと、物事は何も設計できない。両方の視点が必要なのに、現在の日本は明らかに、理系的なシンプルな考え方に欠けてしまっている。

ここまでなら大丈夫という
割り切った設計が必要

 福島第一原発事故のとき、班目安全委員長は「ここまで耐えればよいと“割り切って”設計しないと何事も決められない。つまり、リスクゼロなんてあり得ない」というような内容のことをいって、マスコミに叩かれた。

 しかし、委員長のいうように、絶対に壊れないものを作るなど不可能なのである。10気圧で使うものを作るとき、たとえば40気圧で壊れるように設計するのがエンジニアである。だから、100気圧もかけられた結果、壊れてもエンジニアの責任ではない。割り切らないと、あらゆるビジネスがカオスになってしまうのである。

 たとえば「耐用年数10年」ということは、作る側では基準として定めていても、売るほうではそれを顧客にあまり説明していない。

 日本人のユーザーは、「使っている限り、強度不足や経年劣化の事故は作る側の責任」ということを主張しているのだが、メーカーは強度余裕(つまり、安全率)や経年劣化も社内だけの規格・定義にしているから、実際に使い続けて製品が火を吹いた場合に、常に訴訟が絡んで泥仕合が始まってしまう。

 自動車メーカーによる燃費データ偽装事件も同じようなものだ。自動車産業が始まって以来、自社規格で燃費や馬力を決めてきたのである。それがこのごろのように急に、どんなドライバーでもどんな道でもその燃費を保証しろといわれたら、お手上げである。