世界大戦の勝利者で、世界の海を支配する海軍国の米国が率先して公海での権益確保を進めたから、漁業、海運などの力が弱い「沿岸国」は、日本、英国などの「海洋国」の漁船などが近海で活動しないよう領海拡大を宣言することを始めた。

 米国は1952年に日本に「北太平洋公海漁業条約」を結ばせて、北太平洋全域での日本漁船団の操業を規制、1956年ソ連もそれに続いた。

 普遍的な海洋法条約を設定するため、何度も国際会議が行われ、海洋国側は「領海3海里」の原則を守ろうと努めたが、大海軍国の米国の発言権は大きい。

 また沿岸国の数は海洋国よりはるかに多いから抵抗は空しく、領海は12海里と決められ、その外側に12海里の「接続水域」、200海里の「排他的経済水域」を設定するなどが海洋法条約で認められた。

 こうした経緯を知る者にとっては、「海洋の自由」破壊の先頭に立ってきた米国が、今、そのことで中国を非難するのは皮肉なことと思わざるを得ない。

 米国の主張する海洋の自由は実態としては「情報収集の自由」ともいえる。

対立招き戦争のきっかけに
ベトナム戦争やイラ・イラ戦争

 だが海軍による他国沿岸での情報活動とそれへの妨害、威嚇合戦は必然的に対立を招き、戦争のきっかけとなりかねない。

 1964年8月、北ベトナム沖のトンキン湾でそれが起きた。米駆逐艦「マドックス」が南ベトナムの特殊部隊を北ベトナムに潜入させようとし、領海に入って行動中、北ベトナム魚雷艇3隻が出動して魚雷を発射、マドックスが魚雷艇1隻を大破、2隻を中破させた。

 この事件は、その後9年も続いた米国のベトナム戦争の本格的参戦の端緒となり、米国の敗北、債務国への転落を招いた。

 1980年に始まったイラン・イラク戦争では、米国はサダム・フセインが率いるイラクを支援していたが、1988年7月には思わぬことが起きた。

 米海軍の巡洋艦「ヴィンセンス」がイラン領海内でイラン哨戒艇を追い回していたところ、近くのバンダル・アバース空港を離陸したイラン航空の旅客機を戦闘機と思って対空ミサイルで撃墜し、乗員、乗客290人を死亡させた。