ザッポスという会社をご存じだろうか。日本には進出していないアメリカのオンライン靴店なのだが、数々の伝説級のサービスとユニークなエピソードで全米、そして日本を含む世界中にファンがいるというかなり変わった会社だ。そしてこのザッポス、サービスも変わっているが、もっと変わっているのがそのマネジメント。ザッポスは世界最大規模のホラクラシー組織である。この10年のザッポスの伝説とマネジメントを自ら全公開したのが注目の『ザッポス伝説2.0 ハピネス・ドリブン・カンパニー』(トニー・シェイ+ザッポス・ファミリー+マーク・ダゴスティーノ 著/本荘修二 監訳/矢羽野薫 訳)である。本稿では、特別に本書から一部公開する。
ティール・オファーの衝撃
自己組織化に伴うホラクラシー導入には多くの抵抗がありました。
一部の人の予想をはるかに超える抵抗でした。私たちはかなり機敏な会社だと思われていました。ダウンタウンへの移転もやり遂げました。ここで長く働いている人たちはたくさんいますが、いくつか嵐を乗り越えてきました。いつもうまく切り抜けてきたのです。
でも、今回は何かが違いました。企業経営について多くの人が知っていることを無視するような劇的な変化に、不意打ちを食らったと感じる人もいました。社内の抵抗は、ホラクラシーの導入から1年が過ぎても、あまり落ち着きませんでした。
新しいガバナンスがどのように機能するかを誤解した人たちは、自分がやりたいことをやればいいだけなのに、ゼネラルカンパニー・サークル(GCC)からの回答を待って、身動きが取れなくなりました。「許可ではなく許しを請う」という典型的な例でしょう。多くのことが泥沼にはまり込んでいました。
そして、あるときの全社ミーティングでトニーがステージに立ち、新しい組織づくりが混乱を招いていることを認め、少し違う方向に踏み出す必要があると説明しました。そのとき「ティール」の概念に言及したのです。彼は熱心にティールを語りました ─ みんなが安心するだろうと思ったのでしょう。しかし、そうはなりませんでした。安心とはほど遠く、それまで以上にパニックになった人さえいました。
ザッポスから「マネジャー」が文字どおりいなくなると、マネジャーだった多くの人が憤慨しました。彼らは肩書きを失い、他人に対する権威を失いました。代わりに自主性を手に入れて、新しいチームを編成して自分の思うように監督する権限を得たのですが、彼らはその意味を理解していませんでした。素晴らしいことのはずなのに、突然、足元をすくわれたように感じている人もいました。不満が広がっていました。
ティールに関しては、すべての関係者が参加しなければ、けっしてうまくいきません。そこで、トニーは全社員に宛ててメールを送信し、あるオファーを出しました。ザッポスの歴史の中で「ティール・オファー」として知られているものです。
基本的には新入社員研修の最後に出す「オファー」と同じで、自分がザッポスにフィットしないと思う人は、十分な金額を受け取ってザッポスを辞めていいという提案です。
トニーの「ティール・オファー」は、自己組織化とティールを目指す旅を続けたくないと思う人は、自分の好きな道を自由に選んで再出発できるという安心と余裕を手にしたうえで、退職できるというものでした。退職金は給料3ヵ月分か、勤続年数1年につき給料1ヵ月分の合計の、どちらか高い金額が支払われました。
これは、「私たちはこの旅を続けます、そのために全員の参加が必要なのです」という宣言でした。しかし同時に、共感から生まれた行動でもありました。これがとても大きな変化であることも、ついていけない社員がいるだろうことも理解しているという、リーダーシップの寛容さと配慮を示した社員へのサービスでした。
あまりに大胆でした。
ラスベガスのダウンタウン全体に、息をのむ音が響き渡ったに違いありません。
私は2008年11月に入社しました。アマゾンに買収される前でしたが、会社はかなり厳しい時期で、多くの人を解雇することになりました。ひどい1日でした。たまたま私の誕生日だったので、余計に苦しい思い出です。終業後、街のあちこちで、悲しすぎる乾杯の声が上がりました。私は一生忘れないでしょう。当時CFOだったアルフレッド・リンは、カスタマー・ロイヤルティ・チームのフロアを隅々まで歩き回り、社員たちの様子を確認しました。人々は彼に悲しみをぶつけていました。
あのレイオフの痛みを軽んじるつもりはありません。大きな衝撃でした。しかし、ティール・オファーは、はるかに破壊的でした。