「派閥」を認めたうえで、
社内調整を行うのが参謀の役割
これは、私の実感にも合致するものです。
たとえば、どんな会社にもセクショナリズムは存在します。開発部門は経費をかけても品質を高めたいと考えるでしょうが、経理部門は財務状況を健全に保つために経費削減を求めるでしょう。新規事業を担当する部門は予算の増額を求めるでしょうが、既存事業の担当部門は、自分たちが稼いだ利益を新規事業に投入することに抵抗するかもしれません。
このように、置かれた立場によって「正論」は異なり、それぞれに「理」に適ったものです。そして、「正論」を共有する者どうしが仲間意識を強め、セクショナリズムを形成していくのは、ごくごく自然なことなのです。むしろ、部門どうしが建設的な議論をすることで、全体としての最適解を見出していくのは、組織にとって健全だというべきでしょう。
あるいは、実力、人格ともに優れた人物を中心に、自然とゆるやかなグループが生まれるのも自然なことです。そのようなグループに担がれる人物が、リーダーとして頭角を現していくのは、組織にとって望ましいことだと言うべきではないでしょうか。
だから、派閥的なものが存在するのは、必ずしも組織にとって悪いことではありません。むしろ、その存在を踏まえたうえで、派閥間の適切な調整活動ができるのが、優れた「参謀」の条件と考えるべきです。それは、参謀の上司にとっても、非常に助かる働きなのです。
参謀に「政治的な色」がつくのは
避けられない
ただし、組織というものの構造上、注意すべきことがあります。
ピラミッド型の組織では、上層部にいけばいくほどポストは減りますから、ポスト争いは、制度上避けられないことです。そして、あるポストに二人の候補がいれば、権力欲の強い人物が、自分を支持する人々とともに派閥をつくって、対立候補を追い落とそうとすることが起こりえるのです。
つまり、健全であるはずの派閥が、権力欲によって不健全な社内政治を引き起こす可能性が、組織というものには内在しているのだと言えます。そして、冒頭の相談者は、社長の参謀役であるために、社長に対抗する派閥から攻撃を受ける状態に陥っているというわけです。
たしかに、これは苦しい立場だと思います。
なぜなら、社長の参謀役として働いている限り、社内からは「社長派」の人間とみられるのは避けようがないはずだからです。彼自身は、社長の意思決定に基づいて働くのが仕事なわけですが、それゆえに、その一挙手一投足が「政治性」を帯びてしまうわけです。参謀は、宿命的に「政治的な色」がついてしまうと言うこともできるのでしょう。
では、彼は、どう対処すべきなのでしょうか?
私は、まず、自分には「政治的な色」がついているということを自覚する必要があると思います。社長の参謀役である限り、「無邪気」ではいられないのです。そして、社内のさまざまな部門や人物の「政治的立ち位置」に配慮しながら、コミュニケーションを取らなければ、無用な政治的軋轢を増幅する結果を招くでしょう。
たとえば、彼は、反社長派の人物から、攻撃的な言動を取られているとのことでしたが、それが腹に据えかねる言動であったとしても、感情的になって反論するのは絶対に避けるべきです。
なぜなら、その瞬間に、相手は、「やっぱり、こいつは”社長派”であって、われわれに敵対しているんだ」という認識を与えてしまうからです。もしも、社長が政治的に敗北して、反社長派が実権を握るようなことがあれば、彼は非常に厳しい立場に追い込まれるに違いありません。そのような挑発には乗らず、受け流すのが良策なのだろうと、私は思います。