東日本大震災の大津波によって、児童・教職員84人という世界でも例のない犠牲者が出た石巻市立大川小学校。震災から1年半が経過したが、事故原因の究明は道半ばだ。ようやく先月8月21日、石巻市教育委員会によって初めて、同校の現場検証が行われた。児童の遺族や地域の人たちも参加した画期的な出来事にも思われたが、実際には、遺族に不満の残る結果に終わったのだった。

「1年5ヵ月かけて、動いた距離のなんと短いことか。市教委は、責任を曖昧なものにして決断を先延ばしにしている。それはまるで51分かけて180メートルしか動けなかった、あの日の大川小学校と同じ」

 宮城県石巻市立大川小学校の津波被災事故で、犠牲となった児童の遺族のひとりがためいきをつく。

 例えば、市教委が、子どもたちが1分しか逃げていなかったことを認めるのに1年、山に逃げたがっていた子どもたちがいたことを認めるのに、市教委が情報を把握してから1年……。

 市教委は、遺族から公文書の間違いの指摘を受けても、それを認め、訂正するまでに、気の遠くなるような時間をかけている。説明会での回答の内容も、後から「勘違いだった」と訂正し、やりとりが無駄になることも多い。

 ある遺族は、そんな不毛感に満ちた戦いをこう語る。

「説明会での私たちの質問が、いわゆる“重箱の隅をつつく”ようなものになっている。だから、質問する方もつらく苦しい。でも、細かい質問をしないと、大事な部分の間違いを認めてもらえない。もう認めるしかない、という段階になると、市教委の回答は曖昧なものになり、あるいは“検討します”とまた先延ばしになる」

逃げた距離はたった185メートル
校庭での51分間と逃げた経路の謎

教頭に「津波が来ているから急ぎましょう」と言われて、子どもたちが走り始めたとされる、校庭と釜谷交流会館の間の道路付近を測る市教委と遺族。(2012年8月21日、石巻市釜谷)
Photo by Yoriko Kato

 先月8月21日、市教委は、同校の津波被災事故から1年5ヵ月が過ぎて初めて、現場検証を行った。子どもたちが学校を出てから被災するまでの経路と、おおよその距離を割り出すことのみを目的とした調査だ。

 日没前の強い西日の中、作業は行われた。参加したのは、指導主事、現在の大川小教諭、遺族、地域の人に、測量技師を加えた総勢約30人。教育長や担当課長、事故当時の元校長の姿はなかった。

 測量の結果、子どもたちが逃げたあの時の経路は、校庭から離れた遠い地点でも、185メートルあまりだったことが分かった。