そもそも、大手都市銀行をメガバンクに再編する原因となった不良債権問題の最中にあって、地銀の統合を進めなかったのは金融行政の手抜かりであった。端的に言って、当時、地銀まで手が回らなかったのだろう。「地銀は後から手をつけよう」と思っていたら、不良債権問題による危機が一段落してしまい、再編が進まなくなってしまった。地銀の再編は、金融行政にとって「やり残し」の課題なのだ。

 しかし、後述のように、多くの銀行にとって経営統合は「できれば、やりたくないこと」なのである。不良債権で経営が揺らぐような「危機」でなければ、そもそも進展しにくい。銀行にとって経営統合は「つぶれることの次に嫌なこと」なのだ。

 また、メガバンクのように海外部門など収益源の多様化を図る余地が少ない地銀に対して、メガバンクに対する(8%)よりも低い自己資本比率規制(4%)を課するなど、地銀の経営に対するプレッシャーがこれまで甘すぎたという問題もあった。

 加えて、長期化する金融緩和政策による長短金利の低下で地銀の貸し出し業務における利ざやが縮小するマクロの逆風と、地銀が経営の基盤とする地方経済の停滞に伴うミクロの環境悪化が、地銀の経営を苦しめている。本業の利益が赤字となる地銀が増えており、株価も軒並みPBR(株価純資産倍率)が1倍を大きく割り込む低評価だ。

 さらに付け加えると、デジタル化の進展によって、銀行の業務そのものが機械とシステムに置き換えられる可能性が出てきた。米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏がかつて言ったような「銀行の機能は必要だが、銀行そのものはいらなくなる」世界が現実のものとなる世界が見えてきた。

 急になくなるものではないかもしれないが、この脅威はメガバンクに対しても共通である。例えば、銀行の「支店」は、携帯電話普及後の固定電話やFAXのように廃れていくのではないか。