「自分に対する裏切り」と、わたしはいった。
「そのとおり。だから、最高の自分自身を呼びさますということは、大人としていまいる場所から、新生児としてかつて知っていた場所へ旅することなんだ。回帰の旅。自分の本来の姿にもどる。あらゆる点から見て、われわれはすでにいつもなりたいと夢見ている存在なんだ。途中で忘れてしまっただけさ。だから、わたしは自己改善という概念はナンセンスだと思っている。改善する必要がある人間は、地球上にひとりもいない――完璧なものを改善することはできないし、改善する必要があるといわれても、足りないことにますます罪の意識を感じるだけだ。すべての人間の義務は、自己改善ではなく自分を思いだすことだ。自分を思いだすというのは、理想的な新生児の状態をはなれ、恐怖に満ちた世界、途中でわれわれをスポイルする世界へ歩きだしたときに失った存在の状態と本物の力を再生することだ。
そのいわゆる“スポイルするプロセス”のせいで、われわれ一人ひとりは幻想を見る。人生の真理とわれわれの認識のあいだにフィルターが設置される。そのフィルター、つまり個人的な背景は、われわれが教えられてきたあらゆる偽りで構成されている。ステップ1で生きているのであれば、われわれが見ていると思っている世界は、じっさいは幻想にほかならない。ある種の偽りなんだ。われわれが見ているものは真理ではなく、じつはまわりの人が、善意から、さまざまな方法でそう見えるように訓練してくれたものの混合物なのさ」……
「七段階の残りはどうなんですか?ステップ1は、人びとが人生の真理に気づかず、世の中がどう動いているのかをほとんど知らない時期ですね。彼らは、自分自身の恐怖、誤った信念、偏見を世の中に投影していて、たとえば、現実のゆがんだ像を見ている、という事実に気づいていない。ほとんどの人はこの段階にいて、だから世界は混乱をきたしているのでしょう。わたしたちは本来の姿とかけ離れてしまっている。
この自分自身への裏切りは、わたしたちの本来の働きを停止させ、自己嫌悪におちいらせる。愛に満ちた、恐れを知らない、非凡な自分自身をはなれて、多数派に順応させてくれる型のなかにわが身をはめこむとき、わたしたちはよりいっそうの――おそらく無意識に――自己嫌悪におちいるのでしょう。ほとんどの人が悲しくて怒っているのも無理はない」
ジュリアンはクラクションを鳴らしはじめた。片手でハンドルを握ったまま、もう片方のこぶしを宙に突きあげ、声をかぎりに「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」と歌いはじめた。彼が教えている英知とプロセスをわたしが理解したことを、ふたたびよろこんでいるのだ。彼がわたしのコーチであることに満足しているのがわかり、わたしは彼の弟子であることを光栄に思った。……
彼は話しはじめた。「七段階の最初は、〈偽りの人生を生きる〉だ。正しい質問をすれば正しい答えが返ってくる、だろ?質問は目覚めをうながす強力な手段を提供してくれるんだ。じっさい、それによって要点がはっきりする。わたしがそばにいないときに答えを書きつづけるべきすばらしい質問は、“今後、人生でなにを我慢すべきではないのだろう?”だ。とにかく、きみはもう自分を裏切ったり、自分のものではない人生をおくったりしないはずだ。