それでも麻生首相は、きょうの党首討論で、その西松事件と民主党の打ち出した「予算案」の財源論への攻撃に終始した。

 一体いつから自民党は、政策を遂行するのではなく、野党への攻撃を繰り返すだけの政党に成り下がったのだろうか。

 自民党が、長い間「国民政党」でいられたのは、日本人が最後の最後に頼るべき安心感を持っていたからこそではないか。元自民党秘書で、現民主党の小川勝也参議院議員は討論直後、こう語った。

 「なんだかんだ言いながら、政策の積み重ねをアピールし、政権与党としての『横綱相撲』を取るのがこれまでの総理でした。ところが、今回の党首討論では、国家の代表である総理大臣が、野党の悪口ばかりを言っている。それは本来、野党の役割でしょう。それならばいったい、この日本の政治は誰がやるというのでしょうか。与野党という立場を超えて、ひとりの国会議員として、今回の麻生首相の討論には本当に失望しました」

一体どちらが首相で
どちらが野党党首なのか

 総選挙直前、自民党が焦りをみせるのは理解できる。だが、それでも政権与党としての矜持を忘れてほしくなかった。

 先ほど筆者は、きょうの麻生首相の討論について「予想外だった」と書いた。だが、実はこうした言動はある程度予測していた。それは今朝の読売新聞に載った自民党の一面広告を読めば判る。

〈鳩山代表に質問です。(中略)誰かの代わりではなく、新たな代表としての明確なお答えを期待します。国民への説明責任をはたし、議論を闘わせることが、明日の日本をつくるのですから〉

 この新聞広告のお粗末さについては、筆者は早朝のラジオ(文化放送「吉田照美のソコダイジナトコ」ですでに指摘をしていた。

 にもかかわらず、いくら追い詰められた麻生自民党といえども、まさかそこまではしないだろうとわずかな期待は残していたのも事実である。

 だが、果たして、麻生首相はかつての野党が行なっていたような“さもしい”論争を行なった。そこに国民の姿は浮かばなかったのだろう。

 そしてきょう、少なくともこの党首討論でわかったことがひとつある。それは、麻生首相には政権与党の総裁として、また日本のトップに立つ内閣総理大臣としての“矜持”がほとんど残っていないことが判明したのだ。

 むしろ、野党民主党の方がよほど「国民政党」に近い自負を持ち備えているようだ。それは、鳩山代表の次のことばからうかがえる。