早急に白黒つけたがる人は幼稚であると気づけ

茂木 僕は10月20日に50歳になるんですが、年を取れば取るほど、事前情報に左右されないという点では純粋になっていくような気がします。去年、進化論を書いたチャールズ・ダーウィンの住んでいたダウンハウスというところに行ったんですが、彼が『種の起源』を書いたのは、50歳なんですね。だから、僕は僕にとっての『種の起源』を今度は書かなければいけないんですけど(笑)。

 ダーウィンが住んでいたダウンハウスというところは、人口数百人のものすごい田舎だったんです。しかも彼は終生、何の肩書きも仕事もなかった。ここでずっと進化論を書いていたんです。僕は、こういう人にこそ、心惹かれるんですよね。肩書きも組織も関係なくて、やっている実質だけが大事だという。

 もちろん今は時代が違いますから、ネットワークとか、人のつながりが大事になるわけですが、逆にいえば、それ以外に大切なことって、何もない気がするんです。あのジョブズにしても、ゲイツにしても、そういう感じの人ですよね。よくエコノミークラスしか乗らない、なんて聞きますけど、あの人たちはおそらく本当に区別していない気がする。エコノミークラスもビジネスクラス、ファーストクラスも。そういうものが、見えていないんだと思う。

 興味がないんですよ。そういう、わけのわからない区分けには。でも、こういう人が世界を変えていくんでしょうね、きっと。

キム 社会的に物事がわかるようになればなるほど、性急な判断の持つ危険性は高まりますよね。人間って、すぐに白黒つけたくなるし、はっきりさせたい。でも、そういうときこそ、自分のマネジメントで、ちょっと留保する勇気が必要ですよね。

茂木 それができないんですよ、今は。

キム 早く判断できない自分は未熟だと思ってしまう。でも、逆に僕はそれは、むしろ成熟の証拠だと思うんです。

茂木 おっしゃる通りです。イギリスの偉い学者は、みんな例外なくそれができますね。ジャッジメントを保留するというか、わからないことはわからないと言う。でも、今のネット世論などを見ていると、拙速な感じでジャッジメントをしたがる印象がありますよね。

キム 人がたくさん乗った船のほうに乗って、安心してしまうんです。逆に、人が少ないと不安になってしまう。自分の直感に対する信頼が薄いんですよね。これは、日本に限らず、ですけど。

茂木 国境紛争も同じですよ。メディアの中で議論されていることって、学問的な水準のことではない。それこそ門外漢の僕が、研究のためにいくつか論文を読んだ中にも、全然、議論されていない面白いことがあるのに。

 例えば、国境紛争が尖鋭化するのは、関係国の民主化度が低いときだというデータがあるんです。ちゃんとした論文なんですよ。たしかに考えてみると、民主主義って、自分の意見の異なる人と辛抱強く対話を続けるプロセスですよね。そういうことがちゃんとできるかどうかは、民主化度の証でしょう。

 国境紛争は当然、意見が違うわけですよ。見解も違う。だから、相手の意見も聞きつつ、ちゃんとダイアローグができる態度と結びつく。実際、出てきている事象というのは、その論文と一致するんです。

 原発問題にしても、スイスで極めて興味深い事例がある。核廃棄物の処理施設をある村に作ろうとしたら、賛成が50%もあった。スイスのためにどこかが貯蔵しないといけないのであれば、受け入れようと。ところが、補償が行われると聞いた瞬間に、賛成比率が25%に落ちるんです。公共心で考えていたのに、お金のためにそういうことをしたと思われるのが嫌だからです。

 ところが最後は、恐ろしいことが起こって、結局、住民は受け入れるんですね。何かというと、補償が莫大になったんです。年収と同じくらいの額を毎年、もらえることになった。年収が2倍になるようなものです。ここから、住民の行動が変わり始めるんです。補償をすでに折り込んだ生活をするようになる。20年くらい前の古典的な研究なんですよ。数百件も引用されている。ところが、日本の新聞で読んだこともない。学問が教えられていないな、と改めて思うわけです。