先行きが不透明なコロナ渦。変化に対応すべきなのはわかっているが、具体的にどうすればいいのか?
そんな人に読んでほしいのが、東大卒プロゲーマーときどさんの著書『世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0』だ。本書では、格闘ゲームの環境の変化によって、全く勝てなくなったときどさんのV字回復の軌跡を紹介。「圧倒的に変化が激しい」eスポーツの世界で戦うために必要なことを突き詰めていくと、ビジネスの世界でも応用できるエッセンスが見えてきた。

東大卒プロゲーマーが語る「結局大事な場面で勝ちきれない人」に足りないたった一つの行動Photo: Adobe Stock

僕がプロゲーマーを選ぶまで

 人生やキャリアについて、なぜやるのかを考えて納得し、自分で「やる」と決める。これは結構しんどいことです。結果、「受け入れたつもりが、実は世間の目を気にして決めていた」ということが起こりがちです。他人の目や世間を意識している時点で、心の奥底では嫌だと思っているので、前に進むことができません。でも「自分で決めたことだから」と頑張ると、無理をすることになります。「自分で決めたんだから文句をいうな」「自己責任でなんとかしろ」─僕はそういう考え方が、あまり好きではありません。

 プロゲーマーという職業を選んだときにも、僕は「自分で決める」ことの難しさを痛感させられました。

 詳しい経緯は本書で書いていますが、何とかなるだろうと思って進学した大学院。それは惨めなものでした。いよいよどうにもならなくなって家族とも相談し、辞める決意をしたのは進学して1年以上経ってからのことです。

 その後僕は、気を取り直して公務員を目指すことにしました。就職して仕事をしながら趣味のゲームをする。そういう道を行くのだろうとぼんやり思いながら、就職活動を続けました。学業と両立しながら続けてきたゲーム。今度はその学業が仕事になるだけのことです。院では失敗したけれど、またうまくやれるさ。そう思い込もうとしたものの、少しずつ、違和感はふくらんでいました。

 二次面接を終えて、いざ働くことが現実的になっていったころ、「本当に公務員でいいのか」「何だかまずいことになる気がする」と心の声が聞こえてきました。違和感は不安へと変わり、僕の中で無視できないものになっていました。

 よく考えてみると、公務員という選択は僕にとって、積極的なものではありませんでした。新卒でない立場で企業に入社する選択肢は、現実的ではない。その程度の理由でした。

 僕はなぜ、大好きなゲームを職業にするという選択肢を無意識に消してしまっているんだろう? 初めて、そのことを深く考えたときに、気にしていたのは「世間体」だということにはっと気づいたのです。

 当時、格闘ゲームのプロ化の兆しはありましたが、まだ海の物とも山の物ともつかぬものでした。僕は知らず知らずのうちに自分の気持ちにフタをして、公務員を「受け入れ」ようとしていたのです。

 僕が最終的に決めたのは、プロゲーマーになるという答えでした。

 そもそも僕が、学業とゲームを両立していた理由。それは「両立させておけば親や学校、世間から、ゲームについて文句を言われないから」でした。世の中が決めたレールに乗って、与えられた課題をクリアしていく。今思えば僕の人生は、ずっとその連続でした。僕は、それが得意でもありました。

 しかし、誰かが「正解」を教えてくれる時期はもうとっくに過ぎていました。一人の大人として判断するべきときに、何も考えずに進路を決めた。それが大学院での根本的な過ちでした。

 自分はどうしたいのか。どう生きたいのか。他ならぬ自分自身のために、覚悟を決めるときが来ていたのです。

葛藤にさらされても、まだやりたいことがあるのなら

 世の中の常識に従うことで、安心できることはたくさんあります。わざわざ不安になる方を選ぶ必要もありません。ただ、もしも不安よりも違和感が大きいと感じるのであれば、きちんと考えてみた方がいいと思います。僕にとってのゲームのように「これだけは」という何かが、誰にでもひとつくらいはあるかもしれないからです。

 むしろその何かは、迷いや葛藤にさらされる状況があって初めてわかる。そういうものかもしれません。

 僕はゲームが好きです。ゲーム中心で生活してきましたが、ただただ夢中になっていただけで職業にしたい意識はありませんでした。「勝ち」に対する気持ちもそうです。ずっと勝ちたいと思ってやってはいましたが、切実にそう感じるようになったのは、思うように勝てない状況になってからです。

「踏み絵」にも似た状況はしんどいものですが、自分の思いや譲れないものを確認できる機会にもなり得ます。それで「これだけは」というものがあったのなら、それぞれの現実の中でどう付き合うのかを考える。世間がこうだからと、何となく決めていいことではない。僕は大学院での手痛い失敗があったから、そのことに気づけたのです。

 誤解して欲しくないのは、世の中の答えと自分の気持ち、どちらが正しいとか偉いとかいっているのではないのです。世の中が決めた答え、自分が決めた答え、その選択に優劣はありません。

 人にはそれぞれの事情があります。自分の答えを選択するのは現実が許さないことはあります。僕も、もしプロゲーマーが職業として存在していなければ、普通の仕事とゲームを両立する人生を選んだと思います。何であろうと自分が受け入れた道であれば、やってみて、失敗しても納得できる。それがいちばん大切なことなのです。

(※この記事は『世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0』からの抜粋です)