あの時、どうすればかっこよくなれた?
反省はクレバーな人ができる尊いスキル

 まず森氏の辞任に至るまでの背景として、森氏は女性蔑視発言とその謝罪会見でものすごいヘイトを買っていた。当然、辞任の会見にも厳しい目が向けられたが、森氏はいつもの調子で、世論は案の定怒った。

 というか、これ以上怒ってもどうしようもないのであきれるようなトーンの論評がだいぶ増えた。「結局何もわかっていない」「言い訳がましい」と批判された辞任会見は、ではどうすればかっこよくなり得たのか。いくつかの可能性が考えられる。

 まず、正面から問題に向き合ってきちんと反省できていればかっこよかったかもしれない。「何もわかっていない」と批判されたのは、森氏の女性蔑視に対する認識である。だからきちんと認識した上で謝罪すれば、「森さんも反省したみたいだし、責任を取るために会長を辞任したし」と溜飲を下げた向きはあろう。また、反省はクレバーな人ができる尊いスキルなので、「森さんやるじゃん」という声も出てきたかもしれない。

 もしくは、辞任せず心を入れ替え、世間にわかりやすい形で「私は生まれ変わりました」とアピールし、その後、粉骨砕身して東京大会を無事終幕まで導いた場合も、そこそこかっこよかったかもしれない。

 しかし、現実は素直に辞任となった。「森さんのオリンピック・パラリンピックは楽しめない」という声まで出てくるくらい状況はこじれていたので、辞任は賢明であり、妥当な線だったともいえる。

 女性蔑視の発言をし、反省の様子が感じられぬふてぶてしい謝罪会見を行い、それにさらに批判が集まって「じゃあやめます」という一連の流れはお粗末であったが、お粗末が限界を突破して今度は世論に別の声が混ざってきた。キーワードは「森喜朗氏の長女」である。