前回は「チベット問題」について、中国の本音と建て前という視点で述べてきました。今回はその【後編】として「靖国問題」を取り上げます。この2つの問題、ともに政治と宗教、政治と心の問題という意味で共通点があります。

 「靖国問題」──この問題は、日本人にとって、政治と宗教、心の問題にどう折り合いをつけるかと言った問題です。

中国が首相の靖国参拝を
認めない理由はシンプル

 この問題、実は中国にとってはきわめてシンプルな問題です。

1.A級戦犯=軍国主義者

2.靖国参拝=軍国主義肯定

3. 軍国主義肯定=(日本軍国主義と戦って勝利した)中国共産党の正統性否定

4.中国共産党の正統性否定=中国共産党支配崩壊のおそれ

 ということで、中国共産党率いる中国としては、首相の靖国参拝は、理論的には、絶対に認められないことです。かつての中曽根首相が、中国の圧力に屈して(または、胡躍邦を助けるためか)参拝をやめてしまったことは、中国から見れば、日本は間接的に、A級戦犯=軍国主義という最初のポイントを認めてしまったということになるわけです。ですから、中国としてはこれまでこの前提で来たので原理原則では妥協できないと考えています。極めてシンプルな構造なのです。

「国際政治の現実」と「心の問題」
日本人はどう折り合いをつけるか?

 ところが日本にとってはとても複雑なようです。

1.先の大戦に対する評価が日本国内で定まっていない。

2.日本の政治家にとって遺族会と言う大票田の意向を無視できない。

3.日本人の宗教観として、いかなる理由にせよすでに亡くなった人に対する批判はよしとしない。それに対し、中国から批判されることに対し、大いなる違和感がある。

4.日本の政治家、政府はこうした問題に対し、正面から取り上げることはせず、常に問題の先送りに徹してきたため、日本国内でもなんともいえない鬱積した感情が残っている。