四大を出たわけでもない、コネもない、資格もない青年が、派遣社員として大企業に入社した。職種は、社員のコンピュータの不具合などをサポートする「ヘルプデスク」。そんな彼が、どんどん社内の有名人になり、ぶっちぎりの出世を繰り返し、わずか10年で巨大グループ企業の執行役員になってしまった。
遠い国の話ではない。日本で、しかもほんの数年前にあった本当の話である。いったい、どんなことをやったらそんな超高速スピード出世が可能になるのか?
『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)には、その秘密が詳細に書かれている。本書より、その超高速スピード出世物語の一部を紹介していこう。
外部エンジニアの先輩に助けられる
僕は割とポジティブでタフな部類に入る人間だと思う。だけど、もし、機械のように働く時期があともう少し続いていたら、相当ヤバかったのではないかなと思うぐらいの状態だった。
しかしある日、常駐していた外部のスーパーエンジニアの佐藤さんが、積極的に手伝ってくれるようになった。
というか、そういう専門性の高い人の力を借りないと、僕の知識ではできない仕事をしなければならなかったのだ。ちょっと専門的な話になるが、新しいコンピューターを導入する際には、「キッティング」というPCの様々な設定をして、ソフトのインストールを行い、PCをすぐに使える状態にする作業が必要だ。それを1台1台やっていたら、いくら時間があっても足りないので、1台で基礎的な設定を固めて、それを別のコンピューターに移していく。
はっきり言って、キッティング作業に関する知識は、法人の大量の機材導入でしか必要とされない。いくらこれまで僕がアメリカでコンピューターをイジっていたり、日々、ヘルプデスクの仕事を通じてコンピューターのトラブル解決の勉強をしていたりしたとしても、大企業のエンタープライズシステムについては全く無知だった。大規模システムとキッティングするPCの関係やテストなどについては、彼のエキスパートとしての知見を借りる必要があった。
佐藤さんに教えてもらいながら、二人三脚で作業をこなしていった。社内のコミュニケーションにおいて「生意気だ」と言われていた当時、外部ITに詳しい佐藤さんとの会話は新鮮だった。
「二宮くんは、若いのにコンピューターに詳しくて優秀だね。どこで覚えたの?」と佐藤さんに聞かれ、僕はアメリカ時代にコンピューターに触れたことなどを簡単に話す。すると、佐藤さんは、「英語ができてITにも明るいなら、二宮くんの将来が楽しみだな。これからは、英語ができて、コミュニケーション力のあるITエンジニアが優遇される時代が来るよ」と言った。
佐藤さんには手取り足取り、仕事を教えてもらった。外部の方なのにとても親切で面倒見の良い方だった。佐藤さんが僕を褒めたのは、僕にやる気を出させるためのリップ・サービスだったのかもしれない。しかし、ここでは、僕のアメリカにかぶれた田舎者という性質が良い方向に働いた。佐藤さんの言葉を正面から受け止めて、モチベーションが上がったのだ。
1979年徳島県生まれ。高校卒業後、ミュージシャンを目指して米国に渡るが挫折。2003年に帰国。大塚製薬株式会社に派遣のヘルプデスクとして入社。上海万博出展などに携わり、またグローバルIT組織構築をグローバルリーダーとして推進。大塚倉庫株式会社 執行役員IT担当を経て独立。N&A株式会社代表取締役、株式会社オリエント代表取締役。情報セキュリティ戦略構築、組織づくり支援、教育等、各種コンサルティングを提供。特に欧米の高度セキュリティ・ソフトウェア開発の人材ネットワークを構築、国内外の企業に情報セキュリティ関連サービスを提供。著書に『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)。