四大を出たわけでもない、コネもない、資格もない青年が、派遣社員として大企業に入社した。職種は、社員のコンピュータの不具合などをサポートする「ヘルプデスク」。そんな彼が、どんどん社内の有名人になり、ぶっちぎりの出世を繰り返し、わずか10年で巨大グループ企業の執行役員になってしまった。
遠い国の話ではない。日本で、しかもほんの数年前にあった本当の話である。いったい、どんなことをやったらそんな超高速スピード出世が可能になるのか?
『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)には、その秘密が詳細に書かれている。本書より、その超高速スピード出世物語の一部を紹介していこう。
23歳の帰国、派遣で働くという選択
高校を卒業後、なんだかんだで5年半もアメリカにいた。しかし、サンタバーバラの2年制大学を卒業しただけで特にこれといった資格もない。多少、コンピューターに詳しくはなった。英語も多少話せる。と言っても、仲間に向かって「よう!」と話しかけるようなレベルで、ビジネスで使える代物ではない。つまり、「四大卒以上」という求人の前には、何の武器も持っていなかったのだ。
ここから、いかに這い上がるのか。そういう作戦をゆっくり練りたいと思うものの、そんな悠長な時間はない。ただ漠然と、「得意のコンピューターの知識を少しでも活かせる会社に勤めたい」。それぐらいしか、頭に浮かんで来なかった。
僕の頭に浮かんだカッコイイ会社は、製薬会社だった。「攻殻機動隊」という科学技術が進んだ未来の世界を描いた日本のアニメがある。アメリカで観て、脳天に電流が走るほど衝撃を受けた。特に、本当に目が見えるようになる義眼が登場するシーンなどには大きな衝撃を受けた。だから、そういう生命をテクノロジーで科学するライフサイエンス企業、つまり、巨大な製薬会社のようなところが、僕にとってはカッコイイ会社だった。
そんな会社の求人には、たいてい「四大卒以上」と書いてある。やりたい世界の企業で働こうと思っても、なかなか採用の口がなかった。
2004年の夏だったと思う。紹介派遣なら、大企業で働くチャンスがあると知人に聞き、派遣会社の門を叩いた。派遣社員は色々な背景の人がいるので、まぁ変わった人が来たくらいにしか思われなかった。
それで、希望の話をした時に、1件目に紹介されたのが大塚製薬だった。僕の地元徳島にルーツがある企業で、名前だけはよく知っていたから、そのまま応募した。
1979年徳島県生まれ。高校卒業後、ミュージシャンを目指して米国に渡るが挫折。2003年に帰国。大塚製薬株式会社に派遣のヘルプデスクとして入社。上海万博出展などに携わり、またグローバルIT組織構築をグローバルリーダーとして推進。大塚倉庫株式会社 執行役員IT担当を経て独立。N&A株式会社代表取締役、株式会社オリエント代表取締役。情報セキュリティ戦略構築、組織づくり支援、教育等、各種コンサルティングを提供。特に欧米の高度セキュリティ・ソフトウェア開発の人材ネットワークを構築、国内外の企業に情報セキュリティ関連サービスを提供。著書に『派遣で入った僕が、34歳で巨大グループ企業の役員になった小さな成功法則』(ダイヤモンド社)。