『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』が20万部を突破! 本書には東京大学教授の柳川範之氏が「著者の知識が圧倒的」、独立研究者の山口周氏も「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せ、ビジネスマンから大学生まで多くの人がSNSで勉強法を公開するなど、話題になっています。
この連載では、著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
[質問]
読書猿さんは以前「文章(あるいは小説)は推敲時に最も上達する」と書かれていました。なぜでしょうか?
「注意深い読み手」となり、文章と向き合うからです
[読書猿の回答]
出典は不明ですが「読まないと書けるようにならない。書かないと読めるようにならない」という言葉があります。読むことと書くことは「鶏と卵」の関係にありますが、推敲はこのループを回す有効な機会です。
「読まないと書けるようにならない」については、多くの説明を必要としないでしょう。
書き言葉を扱うことは生得能力ではありません。書けるようになるには書き言葉を学ぶことが必須です。私が書く言葉は、意識するしないに関わらず、私がかつて読んだ言葉を基にしたものです。
「書かないと読めるようにならない」はもう少し説明が必要かもしれません。『独学大全』で紹介した「筆写」について、ブログでこんなことを書いたことがあります。
「普通なら素通りするような言葉が、信じられないほどの重みを持ち、思っても見なかった意味と機能を担っていることに気付くのは、こうした箇所においてである。
著者の息づかいを聴き、断定の果ての逡巡を感じることができるのは、この時をおいてない。」
他人が書いた文章を書き写すことですら、上記のような効果があります。
さて、自分で書くには、文章に現れるすべての言葉を自ら選ばなくてはなりません。こうした体験を重ねてから、他人の書いた文章を読むと、かつてなら読み飛ばしていた言葉のひとつひとつに、以前より注意を払うようになります。
大げさに言えば、この書き手がどこで自らの思考を中断し通念に身を委ねたか、どこで事実を理解することを諦めそのかわりに自らの思い込みをあてがうことを選んだのか、分かるようになります。
書くことを重ねて読み手としての注意深さを高めた上で、かつて読んだものを再読すれば、自分がどれだけ読み手として成長したか理解できるでしょう。
さて推敲にあたっては、あなたが読まなくてはならない文章は、世界で最も注意深く読まなくてはならないものです。なぜなら、その文章はあなたが書いたものであり、あなたの名を冠して世に出ていくもの、あなたがその責任を負わなければならないものであるからです。
しかも推敲では、あなたは読み手の地位に安住することはできません。再び自ら言葉を選ぶ書き手とならなくてはなりません。不完全な文章を見捨てず、何とかよりよいものにするという困難で責任のある務めを果たさなくてはなりません。なぜならこの文章は、あなたがこの世に生み出した言葉たちだからです。
以上が、最も注意深い読み手であることと、不退転の責任を負う書き手であることの両方を、不断に要求される推敲が、書き手をもっとも上達させると、私が考える理由です。