女性活用
写真はイメージです Photo:PIXTA

ジェンダー平等とダイバーシティ(多様性)の受け入れを強く求める国内世論が広がる一方で、なぜ日本の企業や政治には女性活用がなかなか浸透しないのだろうか?日本企業の「女性活用」の根本的な誤り、そして、企業の成長をむしばむ「オールド・ボーイズ・ネットワーク」とは?――。東京ガス初の女性役員であり、同社のITプロジェクトの中枢を担う東京ガスiネット社長の鴫谷あゆみ氏と、日本IBM初の女性取締役に就任後、企業におけるダイバーシティ・マネージメントの推進を支援するNPO法人J-Winを立ち上げた内永ゆか子氏が、「経営戦略としてのダイバーシティ」をテーマに対談。その示唆に富んだ内容を、前編・後編の2回に分けてお届けする。(構成/ダイヤモンド編集部 長谷川幸光)

あなたの会社は「役職関係なしに
質問できる組織」か?

――鴫谷さんは、東京ガスで女性初の役員として活躍されていますが、それまでは、仕事で不明な点があると「どうしてなのか?」「なぜなのか?」と、納得するまで上司へ質問を繰り返したと聞いています。空気を読むことの多い日本企業ではこうした「質問攻め」は嫌がられる傾向が強い印象ですが、それによって上司や周囲から疎まれたりしたことはないのでしょうか?

鴫谷あゆみ
鴫谷あゆみ
しぎたに・あゆみ/東京ガス常務執行役員、東京ガスiネット代表取締役社長執行役員。1988年、東京工業大学大学院理工学研究科修士課程修了、同年東京ガス入社。お客さまサービス部長を経て、2016年に同社初の女性執行役員、IT本部業務改革検討プロジェクト部長に就任。2018年に現職。東京ガスのITプロジェクトの中枢を担う。

東京ガス・鴫谷あゆみ(以下、鴫谷):結構面倒くさがられたとは思います(笑)。でも周りの人は皆、つき合ってくれたんですよね。役職関係なしに「質問できる組織」というのは、とてもいい組織と思うのです。そこから建設的な議論になれば、まさに、「ダイバーシティ」を受け入れているということになります。

 東京ガス全体でそれがどこまでできているかというと、これからの部分もありますが、少なくとも私がここにいるということは、私の周囲ではそれができていたという証明だと思います。

J-Win・内永ゆか子(以下、内永):皆が仲良くすることはもちろんいいことですが、意見が違うということをしっかりと話し合えるカルチャーは、私もすごく大事だと思います。

 海外では「なぜ?」「どうして?」「私は納得できない」という議論というのは日常茶飯事です。それこそけんか寸前まで議論していた人たちがランチタイムになるとケロッとして仲良くランチへ行くわけですよ。彼らにとって、とことん議論するということと、人間関係を損なうということは、まったく別問題。

 でもそのあたりの切り替えは日本人には苦手です。「これを言うと相手を傷つけてしまうかも」「あんなことを言ってくるなんて私は嫌われているのだろうか」と気にしてしまうので、事態は進展どころか悪化するばかり。それでは日本企業はどんどんダメになってしまいます。

――内永さんは日本IBMで初の女性取締役に就任後、常務取締役、取締役専務執行役員などを経て退職し、その後はベネッセホールディングス副社長やベルリッツコーポレーションCEOなどを歴任してきました。「内永さんは特別な人で、このような経歴は成すべくしてなった人なのだろう」と思う人もいるかもしれません。しかしあらゆる女性にも役員になるチャンスはあるはずと思いますが、どう思いますか?

内永ゆか子
内永ゆか子
うちなが・ゆかこ/NPO法人J-Win(ジャパン・ウィメンズ・イノベイティブ・ネットワーク)理事長。1971年東京大学理学部卒業。日本IBMに入社、1995年に同社初の女性取締役に就任、常務取締役ソフトウェア開発研究所長、取締役専務執行役員などを経て2007年に退職。企業におけるダイバーシティ・マネージメントの推進を支援するNPO法人J-Winを立ち上げ、理事長に就任。ベネッセコーポレーション副会長、ベルリッツコーポレーション会長兼社長兼CEOを歴任。著書に『もっと上手に働きなさい。誰も教えてくれなかった女性のための仕事のルール』(ダイヤモンド社)など。

内永:それはもう当然です。やはり男性社員の何パーセントかは役員になるわけです。それと同様に、女性社員の中で同じくらいのパーセンテージで役員になる可能性はありますし、場合によっては男性よりも多いかもしれません。

 そういう意味で言うと、私は「特別」というわけではありません。今、日本政府が一生懸命、企業に対して女性の役員を増やす取り組みをしていますよね。それと同じように1990年代の日本IBMは、米国のIBMのヘッドクォーターから「なぜ日本IBMは女性の管理職や役員がいないんだ」とプレッシャーを受けていました。

 日本IBMも、そんなことを言われなくても、これからどんどん増えていくんだ、と言い返し、その中で候補として挙がった数人のうちの1人が私だったというだけのことです。

――米国のIBMはなぜそのようなプレッシャーをかけてきたのでしょうか?

内永:1993年、IBMは初めて赤字となりました。その額は81億ドルに上り、倒産の危機に陥ったのです。

 それを立て直すためにガースナー(ルイス・ガースナー。マッキンゼー、アメリカン・エキスプレス、RJRナビスコ会長を経て、1993年にIBMのCEOに就任。それまでIBM生え抜きの人材が務めていたCEOに初めて社外の人材が就任するケースとなり、同社の再生と再成長に大きく貢献した)がCEOに就任したのですが、彼の戦略の一つが「ダイバーシティ」(多様性)でした。

 私が役員になってしばらくした後、ガースナーが日本に来たときに、「あなたがIBMの中でダイバーシティを浸透してくれたおかげで、日本IBMも女性の活用が進みました。それだけでなく、それを聞いたお客様たちも、女性をもっと活用しなければいけないという意識になったと言ってくれました。ありがとうございました」と伝えたんですね。

 するとガースナーはこう返したのです。