プルデンシャル生命保険で「前人未到」の圧倒的な業績を残した「伝説の営業マン」である金沢景敏さん。営業マンになった当初はたいへん苦労しましたが、あることをきっかけに「売ろう」とするのをやめた結果、自然にお客様から次々と「あなたからサービスを買いたい」と連絡が入るようになりました。どうすれば、そのような営業スタイルを作り上げることができるのか? 本連載では、金沢さんの初著作『超★営業思考』を抜粋しながら、その「秘密」をお伝えしてまいります。
「怖い」と思う一線を越えると、
一気に世界が変わる
「売ろう」とするから売れない――。
自らに課していた目標を達成するために、なかば強引に保険を売りつけてしまった後輩から、クーリングオフをされるという“痛い経験”をしたことから、僕はこのことに気づくことができました(この件の詳細は連載第9回を参照)。
もちろん、営業マンの仕事は「売る」ことですが、それはこちらの都合であって、お客様には何の関係もないことです。にもかかわらず、「売ろう、売ろう」とすれば、お客様から敬遠され、不信感を持たれるだけ。“For me”の姿勢でいる限り、営業マンは「結果」を出すことはできないのです。
しかし、人間はそう簡単に変われるものではありません。
お客様が「最高の選択」をするのをサポートするのが営業マンの仕事だと、いくら自分に言い聞かせても、「売りたい」という“For me”の思考が出てきてしまう。しかも、僕はフルコミッションの保険営業でしたから、少しでも自分のコミッションの大きな商品を勧めたくなる。その欲望を克服するのは、そんなに簡単なことではありませんでした。
いや、「売ろうとしない」ことが怖かったのかもしれません。
営業マンの仕事は「売る」ことなのに、「売ろうとしない」でいいのか? それで結果が出なかったら、どうするんだ? そんな不安が募り、怖くなってくるのです。
だけど、あるとき僕は思い切って、その一線を踏み越えてみました。そして、それが、僕を根本的に変えてくれる大きなきっかけを与えてくれたのです。
元プルデンシャル生命保険ライフプランナー AthReebo(アスリーボ)株式会社 代表取締役
入社1年目にして、プルデンシャル生命保険の国内営業社員約3200人中の1位(個人保険部門)になったのみならず、日本の生命保険募集人登録者、約120万人の中で毎年60人前後しか認定されない「Top of the Table(TOT)」に3年目で到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な実績を残した。
1979年大阪府出身。東大寺学園高校では野球部に所属し、卒業後は浪人生活を経て、早稲田大学理工学部に入学。実家が営んでいた事業の倒産を機に、学費の負担を減らすため早稲田大学を中退し、京都大学への再受験を決意。2ヵ月の猛烈な受験勉強を経て京都大学工学部に再入学。京都大学ではアメリカンフットボール部で活躍した。
大学卒業後、2005年にTBS入社。スポーツ番組のディレクターや編成などを担当したが、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じて、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命保険に転職した。当初は、アポを入れようとしても拒否されたり、軽んじられるなどの“洗礼”を受けたほか、知人に無理やり売りつけようとして、人間関係を傷つけてしまうなどの苦渋も味わう。思うように成績を上げられず苦戦を強いられるなか、一冊の本との出会いから、「売ろうとするから、売れない」ことに気づき、営業スタイルを一変させる。
そして、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRT(Million Dollar Round Table)の6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、自ら営業をすることなく「あなたから買いたい」と言われる営業スタイルを確立し、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な業績をあげた。
2020年10月、プルデンシャル生命保険を退職。人生トータルでアスリートの生涯価値を最大化し、新たな価値と収益を創出するAthReebo(アスリーボ)株式会社を起業した。著書に『超★営業思考』(ダイヤモンド社)。