プルデンシャル生命保険で「前人未到」の圧倒的な業績を残した「伝説の営業マン」である金沢景敏さん。営業マンになった当初はたいへん苦労しましたが、あることをきっかけに「売ろう」とするのをやめた結果、自然にお客様から次々と「あなたからサービスを買いたい」と連絡が入るようになりました。どうすれば、そのような営業スタイルを作り上げることができるのか? 本連載では、金沢さんの初著作『超★営業思考』を抜粋しながら、その「秘密」をお伝えしてまいります。

仕事で生じる「問題」は、実は「自分の心」を映し出している!?画像はイメージです。 Photo: Adobe Stock

営業マンになって
早々に直面した「カベ」とは?

 アプローチするお客様の「母数」を最大化する――。

 この方針のもと、僕は、プルデンシャル生命保険に入った直後から、全力で走り続けました。当時、僕なりに設定していたKPIは、週に3件の契約をお預かりすること。“保険屋”と否定されたり、無残に断られたり、辛いことも多かったですが、このKPIを達成することを目標に、平日は寝袋で会社に寝泊まりしながら、歯を食いしばって頑張り続けました(詳しくは連載第6回参照)。

 その成果はすぐに現れました。

 入社2~3ヵ月後には、新人営業マンとしては「十分に合格」と評価される成績を収めることに成功。当時の直属のマネジャーは、僕をプルデンシャル生命保険にスカウトした京大アメフト部の同級生でしたから、彼の顔に泥を塗るような成績ではカッコが悪い……。そんな思いもありましたから、ひとまずハードルをクリアしたことでホッと胸を撫で下ろしたものです。

 ただ、実は、この頃からすでに不穏な兆候を感じていました。

 保険営業は、親類や知人にアプローチすることから始めるのが通例で、僕もそこからスタートしたのですが、“義理”で保険に入ってくれる人がいる一方で、「保険を売ろう」とする僕に反発する人も多く、知人との人間関係が深く傷つくようなケースが増えていったのです。

 TBSの同期から、「どうして、あなたは同期に保険を売りつけようとするの?」となじられたこともありますし、ある人物から、僕の営業を批判する恐ろしく長いメールをもらったこともありました。

 そのたびに心が傷つき、孤立していく感覚を覚えていました。

 だけど、僕は、そうした現実にちゃんと向き合うことを避けていました。

 というか、向き合うわけにはいかなかった。僕はフルコミッションの“保険屋”ですから、保険を売らなければ報酬ゼロ。とにかく保険を売らなければ、家族を養っていくことができないからです。

 だから、知人から厳しい指摘をされても、「ドンマイ、気にするな。俺は保険を売ろうとしているだけで、何も悪いことはしてへん。誰に何を言われようとも、頑張るしかないんや」と自分に言い聞かせるしかなかったのです。

仕事で生じる「問題」は、実は「自分の心」を映し出している!?金沢景敏(かなざわ・あきとし)
元プルデンシャル生命保険ライフプランナー AthReebo(アスリーボ)株式会社 代表取締役
入社1年目にして、プルデンシャル生命保険の国内営業社員約3200人中の1位(個人保険部門)になったのみならず、日本の生命保険募集人登録者、約120万人の中で毎年60人前後しか認定されない「Top of the Table(TOT)」に3年目で到達。最終的には、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な実績を残した。
1979年大阪府出身。東大寺学園高校では野球部に所属し、卒業後は浪人生活を経て、早稲田大学理工学部に入学。実家が営んでいた事業の倒産を機に、学費の負担を減らすため早稲田大学を中退し、京都大学への再受験を決意。2ヵ月の猛烈な受験勉強を経て京都大学工学部に再入学。京都大学ではアメリカンフットボール部で活躍した。
大学卒業後、2005年にTBS入社。スポーツ番組のディレクターや編成などを担当したが、テレビ局の看板で「自分がエラくなった」と勘違いしている自分自身に疑問を感じて、2012年に退職。完全歩合制の世界で自分を試すべく、プルデンシャル生命保険に転職した。当初は、アポを入れようとしても拒否されたり、軽んじられるなどの“洗礼”を受けたほか、知人に無理やり売りつけようとして、人間関係を傷つけてしまうなどの苦渋も味わう。思うように成績を上げられず苦戦を強いられるなか、一冊の本との出会いから、「売ろうとするから、売れない」ことに気づき、営業スタイルを一変させる。
そして、1年目にして個人保険部門で日本一。また3年目には、卓越した生命保険・金融プロフェッショナル組織MDRT(Million Dollar Round Table)の6倍基準である「Top of the Table(TOT)」に到達。最終的には、自ら営業をすることなく「あなたから買いたい」と言われる営業スタイルを確立し、TOT基準の4倍の成績をあげ、個人の営業マンとして伝説的な業績をあげた。
2020年10月、プルデンシャル生命保険を退職。人生トータルでアスリートの生涯価値を最大化し、新たな価値と収益を創出するAthReebo(アスリーボ)株式会社を起業した。著書に『超★営業思考』(ダイヤモンド社)。