妻の浮気が原因で離婚。突如、5歳の息子との父子家庭になった。手元に残された全財産は90万円。定時退社で保育園へ息子を迎えに行く毎日で、残業代ゼロ。年収400万円で、カツカツの生活だった。ギリギリの節約生活で、4年で1000万円を貯め、本格的に株式投資を開始。紆余曲折を経ながらも某企業の大株主になり、資産2億円以上を築いた。いまや成長し、就職した息子とふたりで焼鳥屋に行ったとき、これまでの半生を振り返り、「投資家」と「労働者」の話をした。
「サラリーだけで生きられる時代は終わった」
「億の資産をつくるにはお金に働いてもらうことだ」
「リスクをとらないと得られるものはないぞ」
離婚して父子家庭になり、全財産90万円から資産2億円以上を築いた父親が、投資術を初公開。いま息子へお金と投資の話を教える『どん底サラリーマンが株式投資で2億円』

父と子Photo: Adobe Stock

窓際どころか
“窓の外”に追いやられた気分

【前回】からの続き。

こうして35歳にして父子家庭となり、全財産は90万円というどん底に追い込まれた。

財布に残っていた小銭まで数えても、本当に全財産が90万円しかなかった。

会社員として毎月給料をもらえるとはいえ、シングルファーザーで子どもを育てるうえで、全財産が90万円というのは、いくらなんでも心もとない。

そもそも、父子家庭は母子家庭よりも不利な面があった。

父子家庭は、公的補助を受けにくかったのだ。

お父さんが働いて稼ぎ、お母さんが家庭を守るという昭和までの価値観に基づくと、母子家庭は補助すべきでも、父子家庭は補助しなくても大丈夫という認識なのだろう。

2010年に法律(児童扶養手当法)が改正されるまで、父子家庭には公的な補助がほとんどなかった。

それまで息子の面倒はすべて専業主婦の妻が見てくれていたが、9月11日からは父親である自分が全部面倒を見る他なくなった。

そのため、生活は激変した。

朝8時に息子を保育園に預けたら、9時に出社。

それまでは仕事で午前様ということもちょくちょくあったが、父子家庭になり、定時の5時半ぴったりに退社し、保育園にダッシュして息子を迎えに行く日々となった。

保育園に迎えに行くたびに、息子は「おともだちはみんなママがおむかえにくるのに、ボクだけパパがおむかえにくるのはイヤだー」とクズって泣いた。

父親について行くと言ってくれたものの、まだまだ母親が恋しい年頃だったのだ。

職場の同僚や上司からは、白い目で見られた。

働き方改革が叫ばれるいまでは考えられないだろうが、夜8時前に帰る社員なんてほぼ皆無の時代だった。

残業が月200時間を超える過労死レベルの社員もいたくらいなので、毎日定時の5時半に帰るような自分は職場に居場所がなくなり、窓際どころか“窓の外”に追いやられた気分だった。

ちょうどこの頃、平社員からようやく主任候補の1人になっていた。

主任を経由しないと管理職にはなれず、主任登用試験はかなりの難関とされていた。

自分は“窓の外”にいるような存在なので、登用試験も受けさせてもらえないと覚悟していたのだが、幸いにも試験を受けることが認められて無事にパス。

その6年後になってのことだが、なんとか課長になることができた。

IT部門に異動してからは営業時代と違って残業代をつけることもできたのだが、毎日定時退社の自分は当然、残業代ゼロ。

家計は苦しいままだった。

家事の経験がほとんどなかったので、日々の食事にも苦労した。

全財産90万円で残業代ゼロなので、息子と毎日外食するわけにはいかない。

そこで、数日分の食材をまとめて届けてくれるサービスを利用してみたのだが、食品メーカーに勤務しているくせに料理ができないので、うまくつくれなかった。

朝はパンだけ。

夕飯は息子が好きなカレー、チャーハン、ハンバーグのつくり方をなんとか覚えて、それを延々とローテーションした。

事情が事情とはいえ、息子には本当に申し訳ないことをしたと思っている。