インターネットの「知の巨人」、読書猿さん。その圧倒的な知識、教養、ユニークな語り口はネットで評判となり、多くのファンを獲得。新刊の『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』には東京大学教授の柳川範之氏「著者の知識が圧倒的」独立研究者の山口周氏「この本、とても面白いです」と推薦文を寄せるなど、早くも話題になっています。
この連載では、本書の内容を元にしながら「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に著者が回答します。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。(イラスト:塩川いづみ)
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら
(こちらは2020年11月の記事を再掲載したものです)

「思いを言語化するのが苦手」な人が見逃す根本原因【5月病におすすめの記事】Photo: Adobe Stock

[質問]
思っていることを言葉にする速度が遅く、困っています

 以前から、思っていることを言葉にする速度が遅く、困っています。

 発話における例としては、職場の同僚との会話において、頭の中でロジックは組み上がっているのにもかかわらず言葉が足りないがために勘違いされ、しかも相手の勘違いのポイントがその場で分からず弁明もできない、といった状況がしばしばあります。

 また、筆記における例としては、認知療法を行うときに激しくイライラしているのに自動思考がうまく書き出せなかったり、心打たれた映画の感想を書こうとしても貧弱な語彙かつ少ない分量の文章のみになってしまったり、といったことが頻繁にあります。最近、文字入力の速度を上げるハックとして言語入力が話題ですが、自分の場合は言葉に詰まってしまい逆にタイピング入力よりも遅くなってしまうほどです。

 このような有様なので、最近は事務的な文書を除き、マインドマップなどで思っていることを雑多に書き出し、情報の順番を入れ替えて骨組みを作ってからノンストップライティングで文字に起こしています。それを練り直せば、ある程度は満足のいくものにはなるのですが、会話では不可能な技ですし、あまりに手間がかかりすぎて苦しいので悩みの種となっています。将来目指している職業が、その職務の一端として批評・ニュース記事を書くことが必要(メインの職務ではない)ため、この状況をなんとか改善したいと考えています。

 自己分析した結果、原因は以下の複合要因なのだろうかと考えています。

・ある言葉や情報を適切なシチュエーションで想起することが苦手(例えば、人からの伝言や警告を必要なときに思い出せなかったり、家や職場に物を置き忘れたりすることが多いです)
・家庭環境や大学~大学院時代、あまり思ったことや感情を口に出せない状況にいたため自分の思考にアクセスすることができない
・単純に会話、筆記の練習量が不足している
・アカデミックライティングの基礎トレーニングを受けているため、論理的につながっていない文章が並ぶと頭の中が批判でいっぱいになる

 こういったことの改善を含めて、思っていることを正確にかつ速く言葉で表現する能力を鍛えるための練習法や、参考図書があればぜひ薦めていただけないでしょうか。

理解とは、対話者が協同で作り上げる構造物です

[読書猿の解答]
 〈脳内にあらかじめ存在する思考を言語に正しく変換して過不足無く相手に伝える〉という考え方ではおそらくうまくいきません。我々の思考は、単なる脳の分泌物ではなく、他者との対話を内面化したものです。

 こちらが抱く前提を共有せず、意向に必ずしも従わない他者を相手にする(ことを想定する)からこそ、我々の思考は整序され、何らかのまとまりを持つことができます。

 理解とは、対話する両者がやり取りを通じて、自分でも明確でなかったお互いの意図と前提を確かめ合い、協同で作り上げる構築物です。

「頭の中でロジックが組み上がっている」と感じるのに相手にうまく伝わらず誤解されるのは、そのロジックに飛躍や抜けがあり、自分の意図とは違う解釈が成り立つ可能性を取り除くことができていない(その前提として他の解釈が成り立つことに気づけていない)からです。

 アカデミック・ライティングもまた、書記言語を用いたコミュニケーションの方法であって、読み手という他者がいることを想定しないと、「◯◯はいけない」という表面的なダメ出しの経験しか得られなくなります。

 論文構成の標準的な型式(Style)であるIMRADも、Introduction(序論)、Methods(方法)、Results(結果)And Discussion(考察)の各要素は、読み手が問うであろう

・何の役に立つのか?
・学問に何を付け加えるのか?
・どうしてデータからその主張が言えるのか?
・なぜその方法で得たデータは信頼できるのか?

という4つの問いに応じようとするものです。

 学問的対話として捉えないと、アカデミック・ライティングのトレーニングの経験も、抑止的・抑制的にしか働きません。「論理的につながっていない文章が並ぶと頭の中が批判でいっぱいになる」ことが自らに向けば、言葉がうまく出てこないことになります。

「対話としての論文」について、参考文献をあげておきます。

『岡田 寿彦 の 論文って,どんなもんだい―考える受験生のための論文入門(駿台受験シリーズ)』