1964年のオリンピックと
2021年のオリンピックの違い

田原総一朗田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県生まれ。1960年に早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。1964年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」等でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「城戸又一賞」受賞。早稲田大学特命教授を歴任(2017年3月まで)、現在は「大隈塾」塾頭を務める。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。 Photo by Teppei Hori

――前回の1964年の東京オリンピックは、田原さんはご覧になりましたか?

 テレビで見ていたよ。30歳で、テレビ東京(当時は東京12チャンネル)の社員だった。あの時の東京五輪は、敗戦国の日本がOECD(経済協力開発機構。日本は1964年に加盟)に加入して再び先進国の仲間入りを果たしたことを世界にアピールし、同時に、日本人自身がそれを自覚するためのもの。二重のメリットがあった。

――日本が高度成長期に入るためのアクセルとなり、そこから国の雰囲気もガラリと変わったのですね。今回の東京五輪・パラリンピックもそのような影響を期待していましたが、共同通信社、ANN、朝日新聞社などの調査を見るに、コロナ禍によって国民の約7割が再延期または中止を求めるという状況になっています。

 世論としては、当然、感染者が増えることへの懸念がある。政府は去年の時点では、「日本は新型コロナウイルスを克服した。打ち勝った」ということを五輪・パラリンピックを通じて世界にアピールしたいと考えていた。しかし今の状況はご覧の通り、「克服した」と言うには程遠い状況だ。

 だから今は、「ホスト国である日本は、新型コロナウイルスと戦い続け、何とか抑え込んでいる。五輪・パラリンピックを開催できるほどの成果を出している」ということをアピールしようとしている。完全に抑え込んでいるとは言い難いが、それでも欧米と比べれば感染者数は極端に少ない。

――多くの外国の状況と比べると、日本はまだ五輪を開催できるほどのポテンシャルが残っていると。どのような結末が待っているか、誰にも予測できない。ある意味、未知の世界です。ただ、国民の不安はやはり大きいですよね。

 東京五輪・パラリンピックがこの未曽有の状況の中で成功するかどうか。それで菅内閣の命運が決まる。失敗すれば、菅内閣も終わりだろう。

具体的な政権構想を示さない限り
野党の支持率が上がることはない

 一方で国民は、政府への強い不満があっても、政権交代をすれば状況が良くなるとは思っていない。事実、このような状況でも野党の支持率はまったく上がっていない。

――なぜ野党の支持率はいつまでたっても上がらないのでしょうか?

 野党は具体的な対案を示さないからね。

――なぜ具体的な対案を示さないのですか?

 そんなものはないからだろう。自民党に反対さえしていれば、その受け皿として当選するからね。これまで考える必要もなかった。そこに時間を使うなら選挙運動のために使う。

――当選から先のことは考えていない、政権を取ろうという気概は野党にはないということでしょうか?

 野党がしっかりと具体的なビジョンを示し、それを国民がいいなと思えば政権交代に近づくが、そのようなものをこれまでまったく示していないし、何も行動に移していない。今までは自民党を批判していれば良かったけれど、きちんとした政権構想を示さない限り、これからも野党が支持されることはないだろう。