アジア通貨危機を追い風に、重光「ロッテ」韓国5位の財閥へと駆け上がる

ソウル五輪(1988<昭和63>年開催)を当て込んだ重光武雄のホテル・百貨店への積極投資は大成功を収めた。後に「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる韓国の驚異的な経済成長の下でロッテグループの急拡大は続き、韓国10大財閥の一角を占めるまでになった。だが、97(平成9)年、タイを皮切りとするアジア通貨危機が韓国にも押し寄せ、IMF管理下での経済再建により大手財閥は軒並み苦境に陥った。ところが、強固な財務体質と事業基盤を持つロッテグループは他財閥の“敵失”もあって、ついに韓国5位の財閥へと上り詰めるのだった。(ダイヤモンド社出版編集部 ロッテ取材チーム)

ソウル五輪後に韓国での積極拡大に拍車がかかる

「ロッテの母体は日本にある。しかし、より大きなリターンを期待できるところに投資をするのは企業家の務めだ」「どの分野も企業がひしめき合っている日本に比べ、創業の苦痛はあっても事業機会に恵まれた韓国の方が企業家にとって遥かに魅力がある」(*1)

 ソウル五輪開催に間に合わせるために土地取得からわずか4年後の1988(昭和63)年に、世界最大の屋内型テーマパークを擁する巨大複合商業施設「ロッテワールド」の開業にこぎ着けた重光武雄は、韓国のマーケットに大きな可能性を感じ始めていたのだろう。冒頭の、韓国への経営資源の集中投下宣言とも取れる発言のあった89年(平成元)年には、前述したテーマパークの「ロッテワールド・アドベンチャー」が開業し、翌年には「ロッテワールド・マジックアイランド」も開業している。重光は得意の絶頂にあったといっても過言ではないだろう。ちなみに90(平成2)年の時点で重光は数え年で70歳となり、「古稀」を迎えていたが、経営に対する意欲は衰えず、「シャトル経営」と呼ばれた日韓を行き来しながらの、経営の最高責任者の役割を担い続けていた(『ロッテを創った男 重光武雄論』より)。

アジア通貨危機を追い風に、重光「ロッテ」韓国5位の財閥へと駆け上がる外の天気に左右されない屋内テーマパークは重光の夢でもあった(ロッテワールド)

 流通事業と観光事業を同時に推進する「観光流通」の集大成であるロッテワールドの完成で、韓国のロッテグループはさらなる急拡大戦略へと拍車がかかっていく。

 このわずか10年前の79(昭和54)年、“盟友”だった朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の「国際級の5つ星ホテルが韓国に欲しい」という要請で、未経験の事業分野だったロッテホテルとロッテ百貨店を開業させたばかりだったことを考えれば、驚異的なスピードでの多角化と多店舗化である。すでに88(昭和63)年にはロッテホテルの新館と、ロッテワールド内のロッテホテル蚕室 (チャムシル)の開業、そしてそれぞれに付随するロッテデパートやショッピングモールなどの商業施設をオープンさせ、韓国のロッテグループはホテルとデパートの積極拡大戦略へと踏み出していった。

アジア通貨危機を追い風に、重光「ロッテ」韓国5位の財閥へと駆け上がる「蚕室」駅直結のロッテ百貨店(上)は地下にも趣向を凝らし、ロッテワールドへ誘う(下)

 たとえば、ソウルのロッテホテルは開館後15年を経た94(平成6)年、本館と新館合わせて客室数が2017室を数え、この年だけで延べ50万人弱の外国人観光客が宿泊し、3億3000万ドルの売上高を計上した、世界でも十指に入るような大型ホテルとなっていた。

 今やロッテホテルはソウル以外にも、釜山(プサン)広域市、蔚山(ウルサン)特別市、済州(チェジュ)市、モスクワにあり、ビジネスホテルの「ロッテシティホテル」はソウル市内の麻浦(マポ)と金浦(キンポ)空港、済州にある。海外では他にもサイゴン、ハノイ、ヤンゴン、グアム、ニューヨークなどにグローバル展開を行うほどになっており、それらは90年代の積極展開のたまものと言っていいだろう。

 同様にロッテデパートはソウル市内だけでも91(平成3)年に永登浦(ヨンドゥンポ)店、94(平成6)年に清凉里(チョンニャンニ)店、97(平成9)年に冠岳(クァナク)店と多店舗化を続け、韓国国内に32店舗、中国5店舗など海外にも展開していった(2020年時点)。

 さらに流通関連では、98(平成10)年にディスカウントストア「ロッテマート」、99(平成11)年にはコンビニエンスストアの「コリアセブン」(83<昭和58>年の「ロッテセブン」に続く再参入)、2001(平成13)年に「ロッテスーパー」と「ウリィホームショッピング」(現・ロッテホームショッピング)と小売業態を矢継ぎ早に立ち上げている。韓国のロッテグループは流通業だけで、日本のセブン&アイグループのように、デパートからスーパー、コンビニにいたるまでフルラインで揃えられるコングロマリットに変貌していったのである。

 無論、多角化や多店舗化は「観光流通」に限ったことではない。78(昭和53)年に買収したゼネコン、平和(ピョンワ)建設(現・ロッテ建設)、79(昭和54)年に買収した(政府放出株式を取得)石油化学メーカー「湖南(ホナム)石油化学」(現・ロッテケミカル)はそれぞれ韓国ロッテグループを支える屋台骨となったし、同じく70年代から多角化を進めてきた食品事業は飲料から乳業、畜産業を手掛けるまでになり、2000年代には他財閥から酒類販売大手を買収するまでになっていた。日本のロッテが製菓業専業であったのに対し、韓国のロッテは菓子から飲料事業や畜産業、さらには酒類まで総合食品メーカーへと姿を変え、さらには「観光流通」、ゼネコン、石油化学と業際を拡げていたのだから、重光の経営資源の韓国への集中配分も当然のことだった。

*1 『日経ビジネス』1989年8月28日号