ノーベル生理学・医学賞を受賞した生物学者ポール・ナースの初の著書『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』が世界各国で話題沸騰となっており、日本でも発刊されてたちまち5万部を突破。朝日新聞(2021/5/15)、読売新聞(2021/5/3)、週刊文春(2021/5/27号)と書評が相次ぐ話題作となっている。
本書の発刊を記念して、訳者竹内薫氏と高橋祥子氏(株式会社ジーンクエスト 代表取締役)の対談が実現した。『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』について、また、孫泰蔵氏(起業家)、中野信子氏(脳科学者、医学博士)、竹内薫氏から絶賛されている高橋祥子の最新作『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』の読みどころや魅力について、そして「科学的思考を身につけるために大切なこと」について、お二人に語ってもらった。(取材・構成/田畑博文 初出:2021/08/22)

竹内薫(左)高橋祥子(右)

利己的な人に大切な声がけとは?

竹内薫(以下、竹内) 自分の出世や自己実現ばかりを追及する人もいれば、反対に平和のために行動を起こす人もいます。人間には利己的なタイプと利他的なタイプの2種類の人が存在すると思いますが、このような差はなぜ生じるのでしょうか。

高橋祥子(以下、高橋) リチャード・ドーキンスは著書『利己的な遺伝子』の中で、「利他的であることは利己的であることの延長にある」と述べています。

 つまりこういうことです。生物の行動は、個体として生き残って種として繁栄していくように遺伝子的に規定されています。しかし、それには順番があり、種を繁栄させる前に、まず個体として生き残らなければなりません。赤ちゃんが利己的なのは、個体の生存戦略上、当然のことなのです。

高橋祥子(たかはし・しょうこ)高橋祥子(たかはし・しょうこ)
1988年、大阪府生まれ。京都大学農学部卒業。東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在籍中に、遺伝子解析の研究を推進し、正しい活用を広めることを目指す株式会社ジーンクエストを起業。日本で初めて個人向けに疾患リスクや体質などに関する遺伝子情報を伝えるゲノム解析サービスを行う。2015年3月、博士課程修了、農学博士号を取得。2018年4月、株式会社ユーグレナ執行役員バイオインフォマテクス事業担当就任。
【受賞歴・活動実績】経済産業省「第2回日本ベンチャー大賞」経済産業大臣賞(女性起業家賞)受賞。第10回「日本バイオベンチャー大賞」日本ベンチャー学会賞受賞。世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダーズ2018」に選出など。2021年文部科学省 科学技術 学術審議会委員。
【著書】『ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』(NewsPicksパブリッシング)

 しかし成長に伴い生存の可能性が担保されてくると、種として繁栄していくことに視点が広がり、自分や他人を含む家族や社会、国などを最適化しようとしていきます。ですから大人になっても利己的な人というのは、「自分の生存の可能性が担保されていない/自分の存在が否定されている」といった不安な状態の人に多いのではないかと思います。

竹内 今のお話は企業経営にも役立つのではないでしょうか。

高橋 そうですね。会社の中に利己的な人がいたら、まずは肯定して存在を認めてあげるような声かけが効果的です。

竹内 苦言を呈するだけじゃなくて、「あなたは役に立っていますよ」「君のした仕事はすごくよかったよ」と労ってあげるということですよね。

自分と違う性質の人に感謝する

竹内 ポール・ナースにはクラシック飛行機の操縦という、危険な趣味があります(笑)。人間には危険なことにもあえて挑むという性質がありますが、これはなぜでしょうか。

高橋 「危険を冒す、開拓を好む」という性質にも、遺伝的な個性が関係しているということが最近わかってきました。新しい可能性を模索する人と、逆に保守的で変化を嫌う人の2つのタイプが存在することによって、種全体の生存の可能性も上がると言われています。

 どちらかのタイプに偏っていたら、いずれ人類は絶滅するでしょう。同じ観点から述べると、ストレス耐性が強い人も弱い人もいますが、ストレス耐性が強いということが優れているとは限りません。危険に直面したときに不安に感じて逃げる人がいるから、人類は生き残ることができたのです。

竹内 仕事上でタイプの異なる人には、なかなか意見が通じないことがあります。そのような場合にアドバイスはありますか。

高橋 私自身、起業にあたって否定的な意見をいただいた方に直接お会いしたことがあります。話し合いを続けていくと、結局彼らが言いたかったのは「なぜわざわざ新しいことをするのか」ということでした(笑)。最初は「そんな人とはいくら話し合っても、絶対に分かり合えない」と思いました。

 でも、さまざまな人がいることで人類全体の生存の可能性が上がっているわけです。「それだったら私が彼らを否定するのもおかしい。彼らに感謝しなければいけない」と発想を変えることにしました。

生命と企業の類似性

竹内 既存のシステムを変えてゼロから始めるのは、非常に大変なことです。どんな大企業でも100年ほど経つと会社の寿命が来ます。そこからさらに100年生きる会社には、そのタイミングで再度ゼロから始まるような大革新があるわけです。これは絶滅する生物と生き残る生物に似ているように感じます。

竹内 薫(たけうち・かおる)竹内 薫(たけうち・かおる)
1960年東京生まれ。理学博士、サイエンス作家。東京大学教養学部、理学部卒業、カナダ・マギル大学大学院博士課程修了。小説、エッセイ、翻訳など幅広い分野で活躍している。主な訳書に『宇宙の始まりと終わりはなぜ同じなのか』(ロジャー・ペンローズ著、新潮社)、『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー著、新潮文庫)、『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』(ポール・ナース著、ダイヤモンド社)などがある。

高橋 生物と企業の間に類似性はあると思います。『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』の第4章「予測不能な未来に向け組織を存続させるには」でも述べていますが、生物は物理的な外部環境の問題もあり、永遠に成長することはありません。

 たとえば酵母を培養していくと、数は指数関数的に伸びますが、S字曲線をたどり、やがてプラトー(定常状態:一定数以上に増殖しなくなる期間)に達します。会社に関しても同じで、顧客の数や資源が有限なので、一つの事業が永久に成長し続けることはありません。長く成長する会社は複数の事業を立ち上げており、1つの事業がプラトーに達したら、また新しい事業を立ち上げて……を繰り返すことで、傍目には成長し続けているように見えるのです。

 ビジネスにおいては、新しい事業を立ち上げる「進化」の段階に来ているのか、それともまだ「成長」の段階にいるのかを見極める必要があります。

竹内 現在のコロナ禍において、一般の方には「専門家の人は皆、意見が一致している」という考え方があるように思います。実際にはそうではないですよね。

高橋 はい。物理学者のリサ・ランドールは著書『宇宙の扉をノックする』の中で、「科学は確かなものだと思われがちだが、正しかったことが正しくなくなることもあるし、その逆も起こり得る。最先端の科学であればあるほど曖昧で、常に不確かなものだ」と述べています。コロナに関してもまったくその通りの状況です。

竹内 これまで正しいと思われていたことが実は間違っていた、ということが日々起こっています。

高橋 「それでは科学には意味がないのでは?」という意見もありますが、そんなことはありません。ただ、専門家以外の人も「今何がわかっていて、何がわかっていないのか」を知り、科学的・客観的に見られる目を鍛えておく必要があります。社会がコロナとどう向き合っていくかというときに、知識がなければ正解を出せません。

 ポール・ナースも『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』の「世界を変える」の中で、科学との向き合い方を強調しています。一般の方が科学的思考を持つというのは、とても大切なことだと思います。

なぜ人間には教育が必要なのか?

竹内 現在の生物学における教育については、どうお考えですか?

高橋 私が義務教育で習ってきた生物というのは、基本的に暗記モノでした。そもそもヒトゲノムの解読が完了したのは私が中学校を卒業した2003年のことです。私の世代の教科書にはヒトゲノムについての記載はありませんでした。

 ですから現在の大人の大半がゲノムに関して知識がないのは当然のことだと思います。現代の科学の発展のスピードを考えると、時代を経て科学の前提が変わったとしても対応していける力を教えていかなければいけません。教育において基本的な概念を教えることは大事ですが、暗記ではなくて、それがどうなっていくのかという「時間軸を含めた流れ」や「新しい事実を学ぶ力」、新しい技術を使ってどうするのかという「応用を考える力」を教えることが大事なのではないでしょうか。

竹内 なぜ人間には教育が必要なのでしょうか。

高橋 言葉や算数といった人間の基本的な能力は遺伝子に刻み込まれていて、生まれた瞬間からできてもいいわけです。しかし遺伝子に刻み込むよりも速いスピードで教育の内容が変化していくので、生まれてから教育を施すほうが効率的なのです。ですから教育内容も時代に合わせて変わっていくべきですし、時代が変わっても役に立つような力をつけるべきだと思っています。

竹内 まったく同感です。現在の学校のシステムは、どうも明治時代にプロイセンから輸入した教育システムに由来しているようです。本来そのシステムは兵隊養成のためのものでしたが、19世紀後半の第二次産業革命において工員を大量生産するために世界中で採用された、という歴史があります。いまだにこの時代と同じ教育システムでは、日本は将来的に厳しいのではないかと危惧します。

高橋 文系・理系を分けるようなシステムも変えていくべきだと思います。この分け方は第一次世界大戦後頃、子ども全員にサイエンス系の教育を施す予算がないために「理系」という枠組みを作って、一部の子どもだけに限定的に教えたことが始まりといいます。

 そう考えると、教育システムの変化の遅さは、遺伝子のシステムととても矛盾しているなと感じます(笑)。最近は大学でも文理融合学部が作られるなど変わってきつつありますが……。

竹内 そうした意味で、生命科学をまったく知らない方や、いわゆる文系の方にも『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』や『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』はおすすめです。

高橋 私の知人が両方を読んだのですが、その知人からは「『WHAT IS LIFE?(ホワット・イズ・ライフ?)生命とは何か』を読んでから『ビジネスと人生の「見え方」が一変する 生命科学的思考』を読むとより理解が深まった」という感想をいただきました。

竹内 たしかにその順序で読むと生命についての理解が深まりそうですね。