「こんなに楽しい化学の本は初めて!」という感想が続々寄せられている話題の一冊『世界史は化学でできている』。朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞夕刊、読売新聞夕刊でも次々と紹介され、発売たちまち8万部を突破。『Newton9月号 特集 科学名著図鑑』では「科学の名著100冊」にも選出されたサイエンスエンターテインメントだ。
「世界史を化学の目線で紐解く」となぜこんなにもおもしろいのか。今回は、「人類とアルコールの歴史」から「ピラミッド建設でビールが給料となっていた話」など、とてもユニークな話題を著者の左巻健男先生に詳しく掘り下げて聞いてみました。(取材・構成/イイダテツヤ、撮影/疋田千里)
人類と酒の関係はものすごく古い
――『世界史は化学でできている』では、歴史的な出来事を「化学の目線」から捉えた面白いエピソードがたくさん紹介されているのですが、左巻先生自身が印象に残っている話はありますか。
左巻健男(以下、左巻) どれも本当におもしろくて、本書をときどき自分で読み返しながら「おもしろいなぁ」と思っているんですが(笑)。アルコールの話なんかもけっこう印象に残っています。
人類と酒(アルコール・エタノール)の関係は本当に古くて、およそ1億3000万年前から始まっているんです。ちょうどその頃、地球上に果実をつける種子植物が登場してきて、そうした果実を好むサッカロミセス・セレビシエという酵母が登場するんです。
「人類と酒の関係」とつい言いましたけど、じつは私たちの方がまだ人類になっていない初期哺乳類の頃です。
――それはものすごく古いつきあいですね。
左巻 本当にそうなんです。そもそも酒を作る酵母は、自然界では糖分の多い環境に暮らしているので、果実の皮などに付着しています。
最初のお酒は、果実や蜂蜜などの自然発酵によってできたのだと考えられます。そんなふうに自然にできたお酒を私たちの祖先が味わうようになって、少しずつ「意図的に作ろう」と思うようになっていくんですね。
アルコール作りはそんなに難しくなくて、石でも、木でも、何でもいいので凹みがあるところに、潰した果実や蜂蜜を放置しておく。そうしておけば、自然界にある酵母の胞子が入り込んで発酵が始まり、自然にお酒ができあがります。
こんなふうに水以外の飲み物が本格的に登場したのが約1万年前。ホモ・サピエンスが定住生活を始め、農耕革命を起こしたときと重なります。今のところ、年代がはっきりと確認できる最古のアルコールは中国の賈湖遺跡で発見されたものですから、約9000年前です。
この遺跡で発見された壺の内部を化学分析してみると「米、蜂蜜、ブドウ、サンザシ」が使われていることがわかったんです。これらのことから、当時の人たちは「ブドウとサンザシを混ぜたワイン」「蜂蜜酒」「コメのビール」なんかを混ぜた複雑な発酵飲料を味わっていたことになります。
そのほか、紀元前4000年代、現在のイラクにあたるメソポタミアの土器には、二人の人が大きな陶製の瓶からストローでビールを飲んでいる姿が描かれています。当時のビールには穀物の粒や殻など不純物が浮かんでいたので、ストローで飲むのが普通だったんですね。
――そんな古い時代からビールがあるのも驚きですし、それをストローで飲むスタイルがあったことも本当におもしろいですね。
左巻 ビールの話で言えば、紀元前3000年頃には、メソポタミア文明を開いたシュメール人が麦類の栽培をしていたことがわかっています。
麦から麦芽を作って乾燥させて、これに小麦の粉を混ぜてパンを焼き上げます。その焼き上げたものを砕いて、お湯で溶いて、その後自然発酵させてビールを作っていたようです。
――けっこう複雑な工程をやっていたんですね。
左巻 アルコールを作るときには、酵母がアルコール発酵する必要があるのですが、ワインのようにブドウからアルコールを作る場合には、ブドウそのものにブドウ糖がたくさん含まれているので、そのブドウ糖を原料にして発酵が進んでいきます。ブドウをちょっと傷つけて、放置しておけば、自然に発酵が進むわけです。
ところが、米から作る日本酒とか、大麦からビールを作る場合はそう単純にはいきません。ビールの原料となる大麦はデンプンを含んでいますが、それ自体はブドウ糖ではないので、いくら酵母があっても発酵は進みません。
そこで、米や大麦をブドウ糖(大麦の場合は麦芽糖)に変えてから、発酵させなければいけません。
つまり、こうした技術が紀元前3000年の頃にはすでにあったということです。もちろん現代のように科学的に解析できてはいないでしょうが、「こうすれば麦からビールができる」ということは経験的に知っていたんですね。