習近平が掲げる「共同富裕」
“行き過ぎ”を防ぐ共産党の動き
最近、中国で“規制ラッシュ”が続いている。IT、教育、オンラインゲーム、芸能界……極め付きは「共同富裕」である。
前回検証したように、「みんなで豊かになる」というこの構想は、中国の経済成長を下支えしてきた「先富論」の放棄、鄧小平旧時代への決別を意味している。若干極端な捉え方をすれば、鄧小平が打ち立てた「社会主義市場経済」が、これまでは、社会主義のお面をかぶりつつも実質は「市場経済国家」だったのが、これからは市場経済とは言いつつも、正真正銘の「社会主義国家」に逆戻りする。筆者は習近平政権下で起きるあらゆる現象を眺めながら、バックトゥーザフューチャーを見いだしている。
各国の政策、市場関係者からは「共同富裕×規制強化」=「文化大革命」の再来なのではないか、といった懸念も聞こえてくる。この点に関してはさまざまな見方があるだろう。何をもって“文革的”な現象と言うかにもよる。
習近平総書記(以下敬称略)への個人崇拝、イデオロギーの横行、権力の一極集中、言論の自由への抑圧といった政治面を見れば、現状は確かに文革的といえる。一方、政治が経済、社会、文化などを完全支配し、その結果多くの生命が奪われ、国民国家を貧困の窮地に陥らせた文革時期とは異なり、昨今の規制強化は基本的に政策レベルの話である。
ただ、習近平の談話に「闘争」という文革的な概念が多用されているのは確かに気になる。闘争の論理が市場の論理に代わって経済を支配するようになれば、「共同富裕」はみんなを豊かにするどころか、経済の停滞を招きかねない。
いずれにせよ、中国(共産党)政治は往々にして振り子の様相を呈し、リズムを奏でる、と筆者は考える。右に行き過ぎれば、左への引力が働きやすい。中央に権力が集中しすぎれば、問題解決が困難になり、地方に権限が譲渡される土壌が生まれる。その逆もまたしかりである。全体最適化のプロセスとでもいえようか。そして、振り子が機能しなくなったとき、崩壊が近づく。昨今の情勢を分析する際にも、この振り子の視座は欠かせないとみている。