事故が起きた根本的な要因を
見過ごした理由を究明すべきだ

 とはいえ筆者は京急本社の刑事責任を問えと主張しているわけではないし、運転士の責任が全くないと考えているわけでもない。事故当時の京急の規定では列車を停止させる時は常用ブレーキを原則とし、常用ブレーキでは列車を停止することができない場合は非常ブレーキを使用するとされており、特発の点滅を認めた場合も、ブレーキの種別は決められておらず、踏切の手前で停止できればよいとされていた。

 事故列車の運転士は特発を確認後、まず常用ブレーキを段階的に投入し、最初のブレーキ操作から6秒後に非常ブレーキを投入している。事故調査報告書は特発を認めた時点で非常ブレーキを操作しても衝突は免れなかったとしているが、特発の視認性の問題はともかくとしても、踏切が見通せない位置で特発を認めたのだから、最悪の状況を想定して直ちに非常ブレーキを操作すべきだったという指摘はあり得るだろう。

 事故の責任を問うための警察の捜査と、責任を棚上げすることで事故原因を究明する運輸安全委員会の調査を比較することは適切ではなく、両者は本質的に相いれない。運転士の「判断ミス」は警察からすれば重要な論点かもしれないが、事故原因を究明する上では事故を防げなかった要因のひとつでしかないからだ。

 警察は企業または個人が法令や基準を満たしているか、過失がないかを調べるのに対し、運輸安全委員会は過失の有無にかかわらず、事故原因を究明し、改善策を提言するのが役割だ。警察は今回の事故の責任を問い、運輸安全委員会は再発防止策を含む「これから」の在り方を問う。では京急はどうか。京急は警察とも運輸安全委員会とも違う視点で、事故を起点に「これまで」と「これから」を見なくてはならない。

 事故原因を究明する上で重要なことは、なぜ事業者が「事故の芽」を見過ごしてしまったのか、つまりどの時点で気付くことができたのか、気付くべきだったのかを問うことだ。京急は運輸安全委員会の指摘を受けて再発防止策を検討するとしているが、なぜ事前に防止策を講じることができなかったのかを掘り下げない限り、また別の場所で事故が起こるだけである。

 それは例えばどういうことか。ひとつの事例から見ていきたい。