日本企業がパーパスを
再定義することには意義がある

宮島 一方で、日本企業が存在意義を考える、つまりパーパスを再定義することには意義があると思います。ただし、マーケティング戦略やキャッチフレーズのような扱いで取り組んでもしょうがない。やるならば、本気でなければ意味がありません。

 例えば地球温暖化を課題として捉えるなら、社長自ら真剣に考えて、ただ考えるだけでなく、それに沿った形で事業を構想したり、組織内部に刷り込む、また、ガバナンス体制を変える。そこまでやるのが本筋でしょう。

日置 そういう点では、「ワールドクラス」ほど、トップから現場、それもローカルの従業員にまで、パーパスやコアバリューが浸透している印象です。

 例えばデュポンやネスレでは、事業部門でもコーポレート部門でも、各人の意識や日々の仕事の中にきっちりと埋め込まれていて、何かを判断する際の指針になっています。

 ではグローバルで事業を展開する日本企業はどうかといえば、そもそも基本的なマネジメントがそこまで行き届いていません。それならば、パーパスやコアバリューを手がかりにしてグローバルマネジメントのレベルを一段引き上げるという方法もあるはずです。本気だということが伝われば、海外の人のほうが、こうした一見すると青くさいことに素直に反応してくれますから。

宮島 日本人は斜に構えてしまうのかもしれません。でも、「青くさい」とか「しょせんもうからないとだめだ」なんて言い始めると、そこで議論が終わってしまう。残念ですよね。

日置 特に上の世代ほどそうした傾向が強く、ミレニアル世代をはじめとする若い層ほど、「企業の存在意義は利益創出ではなく、社会課題の解決にある」といった価値観を普通に持っている、というのが定説ですよね。

 ただ、個人的にはそれも表層的な見方にすぎないと思っています。データがあるわけではないですが、いわゆるバブル世代や氷河期世代の中にも存在意義に飢えている人が相当数います。厳しい環境下においてもなんとか成長しようと進んできた会社と、ここまでがむしゃらにやってきて、良くも悪くも何となく先が見えるようになった自分が、オーバーラップするのかもしれません。

 そういう意味では、パーパスやコアバリューは確かにひとつのきっかけにはなるし、本気でやれば国内だけでなく、グローバルマネジメントでこれまで抜けていたところを埋めるピースにもなる。

 要点はただひとつ、トップ以下経営層が継続的に本気で取り組むこと。これがあれば単なるお祭り騒ぎに終わらず、ワールドクラスへの足がかりとすることもできるはずです。

【第2回へ続く】