やはりこの動画のように、鋭利につきつけるしかないくらい現状は切迫しているのかもしれない、という可能性である。もっとうまいやり方(挑戦的でなく、同調から入ってより多数の共感を得るような動画の作り)があるような気もするが、実際はこう作るよりほかにやり方がなかったかもしれない……などと思うと、その複雑さに訳が分からなくなって、考えさせられる。
 
 そして当然ながら、「DontBeThatGuy」動画は「直視したくない自分を認識しなければならない」苦しさも喚起する。これも考えさせられるポイントである。「女性をジロジロ見てはいけない」と叱られて、先ほど筆者が「ジロジロというほどには…」と言い訳した様子からわかるように、瞬時に「おっしゃる通りです、わかりました」と答えられる・考えられるほど柔軟な人間はそうはいない。
 
 するとやはり、叱られた男性の葛藤の中から「そうは言っても…」といった反論が出てくることは十二分にあり得るし、さらに言うなら「『ジロジロ見る』の“ジロジロ”とはどれくらいの程度を指しているのか」「極端な話、男性は女性を視界に入れてはいけないということか!」などと極論に走る人も出るのであろう。
 
 考えさせられてしまうポイントがたくさんある動画であるが、個人的には非常に意義深いものであると考えている。賛同であろうと反発であろうと「反響を呼ぶ」ということは、多数の人に「考えるきっかけを与えた」ということに他ならない。賛同派と反対派の確執がより深まることもあるかもしれないが、議論が進むことによりもたらされる事態の進展は、おそらくデメリットを補って余りあるものである。

「NotAllMen」と近年の界隈の動き

 さて、「NotAllMen」とは、直訳すると「全ての男性がそうじゃない」となる。性暴力や性犯罪が起きた折に、「加害者男性が異常者だったから」といった具合に、「やる人はやるけどやらない人はやらない」と、加害者男性を「やる人・やらない人」に切り分ける作法、さらには自分をやらない人側、性暴力・性犯罪のらち外に置こうとする作法が、揶揄(やゆ)的に「NotAllMen」と呼ばれる。